ずいぶん気づくのが遅かったのだけれど
わたしはやっぱり
古典(とくに和歌集)が好きなようで、

教師の仕事を「完了」して数ヶ月が過ぎたあたりから
なんだか心が落ち着かなくなり、

無意識のうちに、
ほんとうに奇妙だと自分でも思うのだけれど、

心のなかで額田王などの和歌を
口ずさんでいるときがしばしばあって、

まいったなあ、
どうやら「禁断症状」らしいとふと思い、

「こんまりさん流」に片づけをしたときに
『万葉集』を捨ててしまったことを多少後悔しつつ、

書店でまた買いに行くことにしたのは
たしか夏の頃だったように思う。

 

米タイム誌の
「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた、

こんまりさんこと近藤麻理恵さんの著書、
『人生がときめく片づけの魔法』(サンマーク出版)を読み、

“ときめく” かどうかで残すものを決め、
5月にキレイに片づけを行ったのだけれど、

そのときのわたしにとっては
まるで “ときめく” 要素のなかった代物に、

数ヶ月経ってから
恋しさを覚えるようになるとは
思いもよらないことだった。

 

この、こんまりさんの言うところの ”ときめく” を、
英語では “spark joy” と訳しているそうだけれども、

夏頃に書店に足を運び、
『枕草子』や『源氏物語』に目をやりながら
くだんの『万葉集』を手に取ったときには、

懐かしい感じがし、
心にやわらかな風が吹いたような気持ちになった。

それなのに、
わたしの最終的に選んだものはと言えば
『古今和歌集』で、

自分でもおかしいと思うのだけれど、
どうしてもそれを
連れて帰りたいという思いにかられたので
それだけを買って帰ることにした。

 

ゆうべにそれを読んでみたり、
眠る前の、ほんのすこしの時間に

三十一文字(みそひともじ)を目で追うだけで、
たしかに “spark joy” するのだからおもしろい。

こんなにも古いものが、
こんなにも心をときめかせてくれるだなんて。

「好き」に理由なんて、きっとないんだろうと思う。

 

笑ってしまうのだけれど、
つい最近、紀貫之に会う夢を見てしまった。
(顔もはっきり憶えているのだから驚く)

毎日『古今集』を開いているわけでもないのに、
どうやらわたしはすっかり魅了されたらしい。

そんな、取るに足らない日常のおかしさを、
遠いことを思うような、しずかな気持ちで眺め、

「この世界」を愛でて生きてゆくことも、
きっとわるくない。
そんなふうに思う。

 

世の中のはかなきことを思ひけるをりに、
菊の花をみてよみける        つらゆき

秋の菊にほふかぎりはかざしてん 花よりさきと知らぬわが身を