今日はテキストを通して学びを深めてみます。
テキストに、「探し求めることと見出すことは同じ」と書かれているところ(T-12.Ⅶ.6:5)があります。その少し前のところで、
常に覚えておくべきは、あなたは自分が探し求めているものを見るということである。というのは、探し求めるものが、すなわち、見出すものだからである。…(中略)…あなたが何を投影または延長するかは、あなた次第である。しかし、あなたはどちらか一方を行わずにはいられない。それが心の法則だからであり、また、あなたは外側を見る前に内側を見ないわけにはいかないからである。
(『奇跡講座 テキスト編』T-12.Ⅶ.6:3/中央アート出版社)
こう述べられており、自我(エゴ)は、愛を見出すことはないとも記されています。
心は投影か、延長をする。
投影というのは、「延長の不適切な使用」であると第2章で述べられていますが、ケネス・ワプニックさんの著書『奇跡講座入門』(中央アート出版社)で、
投影という概念が意味しているのは、簡単に言えば、自分自身の中にある何かについて、「これは本当は自分の中には存在していない。自分の外の誰か別の人の中にある」と見なす、ということです。
と説明されています。
第6章では、投影は怒りを意味するということや、投影の唯一の目的は分離を継続させることであると書かれています。
分離を選び、投影する(隠し持った痛みの思い、罪悪感を、他者のなかに見ることで、その他者を非難、攻撃する)のではなく、「ゆるし」を選びたいものです。
何があっても、自分が見たいものを見ているのだということ、その責任から目をそらすのではなく、もし愛でないものを見たと感じたとしたら、ホーリースピリット(聖霊)に助けを求め、訂正(ゆるし)をおこなうこと。そうして、しずかな喜びと感謝を、心の平安を感じることを、続けていく。それが役割なのでした。
決断の力は、この世界の囚人としてのあなたに残された唯一の自由である。あなたには世界を正しく見るという決断をすることができる。あなたが世界から作り出したものは、世界の実相ではない。あなたが世界に与えるものだけが、その実相だからである。あなたは人や物に対して、実際に愛以外の何かを与えることはできないし、人や物から、実際に愛以外の何かを受け取ることもできない。あなたがそれ以外の何かを受け取ったと思うなら、その理由は、あなたが内側を見て、自分自身の中にそれ以外の何かを与える力があると思ったからである。あなたが何を見つけるかの決め手となったのは、この決断だけである。それが、何を探すかを決める決断だったからである。
(『奇跡講座 テキスト編』T-12.Ⅶ.9/中央アート出版社)
「あなたは何を欲するのか」という問いに答えなければならないのである。あなたは毎分毎秒それに答えており、一瞬一瞬の決断が、必ず何らかの結果をもたらすことになる一つの判断である。その結果は、その決断が変わるまで自動的に続いていく。だが、二者択一の選択肢そのものは変更不可能であることを覚えておきなさい。聖霊は、自我の場合と同じように、一つの決断である。この二つが、心が受け入れて従うことができる選択肢のすべてである。聖霊と自我だけが、あなたに開かれている選択肢である。
(『奇跡講座 テキスト編』T-5.Ⅴ.6/中央アート出版社)
ホーリースピリットかエゴか。どちらを教師とするのか。
愛を経験するのか、恐れを経験するのか。
何があっても、何を知覚したとしても、どう見るかの責任は自分にあるのだということを、決して忘れたくないと思います。
ホーリースピリットにゆだねるなら、本当に、確かに、誰のなかにも、どんな物のなかにも、輝きを見ることができます。
何度も、経験してきました。
テキストを初めて読んだときに、とても印象に残った箇所のうちの1つ。
私が見ているものについての責任は、私自身にある。
私が経験する感情を選択するのは私自身であり、私が達成したいゴールを決めるのも私自身である。
そして私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて、求めた通りに受け取るものである。
(『奇跡講座 テキスト編』T-21.Ⅱ.2/中央アート出版社)
被るということはあり得ないのだという事実は救いだと、当時のわたしは思いました。
そうでなければ、文字通り、地獄にいることになります。
愛だけを望むとき、あなたはそれ以外に何も見ない。
(『奇跡講座 テキスト編』T-12.Ⅶ.9/中央アート出版社)
ホーリースピリットを教師とするなら、それが可能なのだということを、本当に深く経験したいと思います。
一時的に、ではなく、24時間365日、眠っているときでさえ、ずっと。
できないと考えるなら、できない。
本当に心から望むなら、そうなる。
事実、実在しているのは愛だけなのだから。
常に覚えておくべきは、あなたは自分が探し求めているものを見るということである。というのは、探し求めるものが、すなわち、見出すものだからである。
(『奇跡講座 テキスト編』T-12.Ⅶ.6:3/中央アート出版社)
できないと考える思いは、分離していたいという思いに違いありません。
ほんとうの責任を受け入れずに、投影をし続けようとする思いです。
わたしは、そのような姿勢は望みません。できないとは言いません。難しいとも言いません。
すべてを、世界を、ホーリースピリットのまなざしで見る。
平安を延長させるというわたしの使命(T-21.Ⅶ.11)を、果たす。
それ以外にここですることは、何もありません。
Blessings,
愛
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奇跡のコースのわかち合い
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