先日の、ACIMベーシッククラスでは、みなさんの日常(問題と感じていること)を「奇跡」にひっくり返す、ということをテーマに進んでいきました。
そこで、「同僚から言われたこと」が話題にのぼり、「でも自分はこういう考えで、こういうふうにした」と、言わずにはいられないというお話がありました。
その方のお話の詳細はここでは伏せますが、言い返さずにはいられない、という気持ちになったことは、誰にでもあるだろうと思います。
冷静になってみると見えてくることは、言い返さずにはいられない気持ちになるということは、相手の発言に「力」を見ているということです。
言葉や態度、その考えに力を見て、それを恐れているから防御するし、反撃したくなる。
けれども憶えておきたいことは、「反撃」というのは不可能だということ。
自分が攻撃されたと信じ、それに対する反撃が正当化されると信じ、そのことに自分は何の責任もないと信じているのでない限り、怒りが生じることはあり得ない。…(中略)…あなたは攻撃されることなどあり得ず、攻撃にはいかなる正当な根拠もなく、あなたが何を信じるかはあなた自身の責任である。
(『奇跡講座 テキスト編』T-6.In.1/中央アート出版社)
攻撃するとき、あなたは自分自身を否定している。あなたは自分が本来の自分ではないということを、はっきりと自分自身に教えていることになる。
すべての攻撃は自己攻撃である。それ以外のものではあり得ない。本来のあなたとは違った者であろうという、あなた自身による決断から生じているため、それはあなたの自己認識に対する攻撃である。したがって、攻撃とはあなたの自己認識が失われる方法である。
(『奇跡講座 テキスト編』T-10.Ⅱ.4、5/中央アート出版社)
(マーカー部分はいずれもわたしが引いた箇所です)
テキストの他の箇所では、相手を修正しようとする必要はないことや、相手から傷つけられたと示すべきではないということについて書かれています(もちろん、それは、道徳的な意味ではありません)。
自分自身のことを、「わたし=この身体」だと思っていると、たくさんの過ちを犯します。それをずっとこの先、無意味に繰り返すのではなく、ひとつひとつを、holy spiritに訂正してもらう、ホーリースピリットの知覚に正してもらうことを続けていきたいものです。
ほんとうは、攻撃することもされることも不可能なのだということ。けっしてわたしは傷つくはずがないということ。
相手のなかに、ほんとうの清らかさ、輝き、美しさを見せていただくことによってしか、ほんとうの自己を思いだすことはできないということ。
忘れずに、ただみなを讃える、祝福するということを続けていきたいです。
Blessings,
愛
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