#034

ACIMはじめてさん向けコーナー

 

今回は、日常の中で感じ取ったものについて
書いてみたいと思います。

なおご紹介くださる場合は、このページのリンクを
お知らせいただけましたらと存じます。
(本文のコピーはできません©️)

海外ドラマ(ほとんどアメリカのもの)を
観ながら(ほとんどBGM的に)作業することが
多いのですが、

先日観たドラマの登場人物たちのやり取りに
ゆるしの光を感じたことがありました。
 

バーを経営している男性が
ギャングから抜けたがっている青年を
バイドで雇うことにしたのですが、

この青年は冗談でのからかいを
真に受けて腹を立ててしまうきらいがあり、

あるとき、バーの店主が青年の勘違いを
軽くジョークでからかった際に
本気でキレてナイフで店主を刺してしまいます。
 

生死を彷徨うほどの大怪我となり
手術を受けて・・無事回復するのですが、
刑事事件として扱われ青年は逮捕されます。

店主は非常に怒っており、
青年のことを誰かが話そうとすると嫌がって
「忘れたいと思ってる」と言います。
ゆるせずにいたのです。

審問では、いかにひどい状況だったかを
話しました。
   

ところが青年の父親(受刑者)が
店主と面会したいということで会うことになり、

「侮辱されたらやり返せ」と、
治安の悪い街で生き残る術として
息子に教えてきたのだと述べます。 
  
 

店主は、青年が過ちを繰り返さないよう
罪を償わせたい思いから、そのひどさについて
裁判所で証言するつもりだったのですが、

判事に対して、
何度も刑務所に入っている彼の父親の代わりに
なってやりたいと思っていたことなどを述べ、
「彼に慈悲を」と言ったのです。

 

最終的に・・軽犯罪に減刑され、
18か月の保護観察、
更生施設に入り、カウンセリングを受け、
社会奉仕をすれば終了という処分になりました。

その後、この青年が店主に
「なぜこんなことを? 無価値な俺に・・」と
泣きながら尋ねます。

「分からないか?」と店主。
「さっぱりだ」と涙する青年。
 

「俺たちに必要なことだからだよ、お互いに」と
優しく答える店主の顔を見ながら
泣き続ける青年。

その青年に近寄り、手錠をかけられた両手に
しっかりと手を添える店主――。
 

 


 
相手のしたことを罪とみなし、
それを実在のものと信じた上でゆるすことは
あり得ないことです。

それは「ゆるし」ではありません。
 
自分が相手より上の立場(慈悲深い存在)として
大目に見てやろうとすることは
コースの言う「ゆるし」ではないのです。

 

相手を十字架にかけることは
自分を十字架にかけること。

攻撃はつねに、自己攻撃。

相手の言ったこと、したこと/しなかったことを
通り越したところにある、その人の光を見ること。

相手を解放することが
自分も解放されること。

相手の中に見ていた、自分自身に対する憎悪、
罪悪感(有罪宣告)が取り消されるという、ゆるし。

誰もが聖なる神の子なのだと
思い出した心は、
天国の門をくぐることができます。

 

*  

このドラマの具体的なところで言えば
「軽犯罪」なわけですから
その点で言えばゆるしという取り消しとは
異なっているということになりますが、

わたしはこのドラマの中の店主の、

俺たちに必要なことだからだよ、お互いに
という言葉の奥に、
 
ゆるしの光を感じたのです。

 
相手が不憫だからゆるす、のではなく、
 
共に罪の信念、囚われから
解放される必要(救われる必要)がある

緒に真に自由になって
愛に戻ることがお互いのゴールだから
わたしはゆるしを選びます、ということ。

分離を信じてきたわたしたちの心が
繋がりあったひとつの心だったと
思い出されたなら、

愛はすでにここにあったということ、
天国の門が目の前にあるということが
思い出されます――。

 

6何をするときも、次のことを思い出そう。    

7誰もひとりで十字架にかかることはない。しかしまた、誰もひとりで天国に入ることはできない。

(W-pI.134.17:6,7/『奇跡講座 下巻』/中央アート出版社)

 

 

Blessings,

2022/5/14配信
©️2022 Sueyoshi Ai

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