#013

学びのわかち合いコーナー

 

以前、学習するのがつらいと感じたときに
思い出したいことについて
4つの理由を挙げつつ書いてみましたが、

そのときは4つの理由について
軽く扱った程度だったので、
順番に1つずつ掘り下げてみたいと思います。

今回は1つめの理由について
丁寧に深めてみますね^^

なおご紹介くださる場合は、
このページのリンクをお知らせいただけましたらと存じます。
(本文のコピーはできません©️)

  

コースの学びがつらくなってきてしまう、
ありがちな4つの理由は何だったかというと・・

1. 全然進歩していないように感じる
2. 他の人と比べて落ち込む
3. 内観/開示が苦しくなってくる
4. 誰かや何かのせいにしてしまう

というものでした。

今回はこの1つめ、
全然進歩していないように感じる
ということについて掘り下げてみます◎

コースの学習を続けているにもかかわらず、
変化や進歩を感じられなくて
落ち込んでしまい

学習をやめたくなる/やめてしまう
というケースがあるようです。

こういう自我の罠
引っかかってしまったときに
落ち着いて考えてみたいことは・・

コースを学習することで、どんな変化が起こると
想像/期待しているのか、ということです。

何を「進歩」だと考えているのでしょうか。

 

 

願ったことが何でも叶う
嫌なことが全く起こらなくなる
別の自分に変われた感覚になる
ラッキーなことがたくさん起こる
みんなが自分に優しくなる
いろんなことが思い通りになる
問題があっという間に解決する
ほしいものが簡単に手に入る
パートナーがすぐ見つかる
お金に困らない人生になる
祈れば病気がすんなり治る
好きなことを仕事にできる

たとえばこういうことを
コースを学習することでの変化や
進歩だと思っているとしたら・・

A Course in Miraclesを誤解しています

 

ホーリースピリットに祈れば
願いを叶えてもらえると勘違いする方が
いらっしゃるようですが、

ある意味では、
すでに、願ったことは叶っています。

パートナーがいない状態を、
お金が足りない状態を、
病気が治らない状態を、
仕事が見つからない状態を嘆き、

誰かや何かのせいにして
怒りを感じることもあるかもしれませんが、

そこに見ているものは
わたし=欠けている存在」という考えであり、
わたし=有罪」という信念です。

有罪の自分には苦痛がふさわしい
わたしは確かに欠けていて脆弱な存在だ
ということの証拠を常に探しているので

何かを取り上げては
「ほら、やっぱりわたしには足りない」
「ほら、やっぱりわたしは無価値だ」と
見るのです。

見たいものを、見ています
願いは、すでに、叶っています。

 

見たいものを見る、ということについては
テキストやワークブックで度々言及されています。

たとえば・・

自分の決断に因らない限り、誰も損失を被ることはありえない。苦痛を被ることを自ら選択しない限り、誰も苦痛に苦しむことはない。悲嘆にくれたり、恐れたり、自分が病気だと考えたりするといった成り行きを、自ら欲しない限り、誰にもそうした状況がもたらされることはない。そして、誰も自分自身の承諾なしに死ぬこともない。あなたの身に起こることで、あなたの願望を表していないものは一つもなく、あなたが選んだもので、そこから省かれるものも一つもない。ここに、細部にわたって完結したあなたの世界がある。これがあなたにとっての現実の全体像である。そして、救済が存在するところはここだけである。

(W-pI.152.1/『奇跡講座 下巻』/中央アート出版社)

 

密かに抱えている、
わたし=有罪」という信念を投影するので、
あらゆるところにその信念が
正しいという証拠を見るのです。

分離の信念、罪悪の信念、欠乏の信念
どこにでも見ることになります。

頭では、そんなもの要らない、
そんなもの見たくないと思うとしても、

心で決断してしまっているので
この決断を変えない限り、続きます。

シングルであることも、
収入が少ないことも
病気にかかることも
無職であることも

善でも悪でもないにもかかわらず。

それは不幸でも、恥でもないのに。

世界まるごと、夢(無)でしかないのに。

こうした状況が
わたし=欠けている存在」の
証拠として映るのです。

 

また、「わたし=有罪」という信念は
他者に投影されます。

嫌な人、苦手な人、感じの悪い人、
好きだけど不満のある相手・・・。

自我を教師にしていると、
敵をもつ必要性から離れられません。

自分が決断したことです。
自分で選んだことです。

それを変える気がないまま、
職場の上司が、夫が、自分に優しくなるよう
聖霊(ホーリースピリット)に祈っても
仕方ありません。

 

あなたが何を見たいと思うかは、あなたの選択である。これは原因についてのコースであり、結果についてのコースではない。

(T-21.VII.7:7-8/『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社)

 

世界というスクリーンに映し出された
結果を変えようと躍起になっても
何の意味もありません。

それを映し出している心、
原因についての助け
ホーリースピリットに求めましょう。

 

あなたが見ている世界の原因が攻撃的な考えだというのなら、自分が望まないのはこうした考えであることを、あなたは学ばなければならない。世界を嘆いても無駄である。世界を変えようとしても無駄である。それは結果にすぎないのだから、変わりようがない。しかし世界についてのあなたの考えを変えることならば、確かに意義がある。そうすれば、原因を変えることになるからである。その結果は自ずと変わっていく。

(W-pI.23.2/『奇跡講座 下巻』/中央アート出版社)

 

罪は実在する」という世界、
わたし=欠けている存在」という世界を
見たいと思って見続けてきたけれども、

その心の決断を変える意欲をもって、
ホーリースピリットのまなざしで見たい
助けを求めるなら、

この世界のあらゆるところに
愛の光、煌めきが、麗しさが、清らかさが
見られるようになります

聖なる瞬間を受け取れるようになります。

 

A Course in Miraclesは
外側を変えるためのコースではありません

内側を見て、心を変える決断をするため、
そうして「わたし=聖なる神の子」という真実、
分離は一度も起こらなかった」という事実を
思い出すための道を示してくれているものです。

 

神聖な兄弟よ、少し考えてみなさい。あなたに見えている世界は何もしない。それにはまったくどんな影響力もない。それはただ、あなたの想念を表しているにすぎない。あなたが自分の心を変えると決め、自分が真に欲するものとして神の喜びを選ぶとき、それはすっかり変化するだろう

(W-pI.190.6/『奇跡講座 下巻』/中央アート出版社)

 

外側を変えようとして、
テキストの本文を目で追ったり、
ワークブックをパラパラめくってみたところで
何も変わりませんが、

心を変えることを決断するなら、
世界のがらくたより神の喜びを選ぶなら、
変わらないはずがないのです

そして、それを確実に導いてくれるのが
テキストとワークブックです。
ホーリースピリットです。

幸せと平安のために取り組んでみましょう。

自我ではなく、ホーリースピリットに
導いてもらっているなら、
学習そのものに感謝と喜びを感じられます。

 

自我を選びつつ、聖霊を選ぶ、
などということは不可能です。

必ずどちらか一方を選んでいます。

学習に対して重苦しさを感じるときは
自我を選んでいるときです。

ホーリースピリットを選んでいて
重苦しくなることは100%あり得ません。

そういうときは、まずは自我の思いを
ホーリースピリットと一緒に見てください。

攻撃的な考えが見つかるはずです。
進歩や変化を阻むものは、その考えです

ホーリースピリットに隠したり、
優等生のフリをしてごまかさないでください。

隠したり、ごまかしたりすると
重苦しさが続いてしまいます

 

「罪悪感の投影だってことはわかってる」と
わかったフリをしないでください
わかっていたら、苦しみません。

自分で訂正しようとしないでください
それはホーリースピリットの役目です。
自分でやれると思うのは自我の思いです。

エゴは、訂正したフリをします。
「ちょっとマシ」「なんだかラク」止まりになります。

エゴにとっては、
「ポジティブシンキング=訂正」、
「自分の正当性を見つける=学びを得る」
ということになっています。

そうやって、実のところ、取り消すことなく
罪悪感を維持しようとするのがエゴです。

 

自分流がいかに時間の無駄になるか
気づけるようになれば
心からホーリースピリットにお願いできます

ホーリースピリットの訂正(奇跡/ゆるし)は、
気休めなんかじゃありません。

罪の世界から、清らかな世界へと、
悪夢から、幸せな夢へと180度ひっくり返るほどの
素晴らしい贈り物なのです。

 

1回祈って、1日ワークブックのレッスンをして
そうなれると思わないでください。

罪への信念をどれほど大事にしているか、
わたし=欠けている存在」を
どれほど信じきっているかに気づけるようになり、

そんな自分をゆるす気持ちになって、
ホーリースピリットの贈り物を
真に受け取れるようになるには、
日々の積み重ねが大切なのです。

 

これは心を訓練するコースである。

(T-1.VII.4:1/『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社)

 

わたしにとっては、
この心の訓練はとても楽しいものです。

どんどん解放されていくし、
ますます穏やかになって、

毎日愛の贈り物
受け取れるからです。

誰かと愛の贈り物を
分かち合えるからです。

 

正しさを主張する病んだ心
別れを告げて、

繋がりを思い出したいと願う、
静かな心に戻れること、

そうして確かに繋がりを
感じられることほど
幸せなことがあるでしょうか。

願いは、確かに、叶います。

すでに、叶っているのです——。

 

本当の学びを深めていきたいものです。
似非学習など、時間の無駄なのですから。
 

あなたはまさに文字通りの意味で、学習ハンディキャップを背負っている。あなたの学習技術にはあまりにも損なわれた領域があるため、あなたの限られた才覚を凌駕できる教師により、持続的に提供される明確な指示のもとでしか、あなたは進歩できない。あなたは自分ひとりでは学ぶことができないので、この教師があなたの才覚となる。

(T-12.V.5:1-3/『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社)

 

聖霊(ホーリースピリット)が
わたしたちの教師です。

ホーリースピリット、
わたしは何もわかりません。
どうぞ教えてください。
どうぞ導いてください。

この、静かな心で、
ともに歩んでいきましょう・.*

 

次回は2つめの理由
「他の人と比べて落ち込む」について
書いてみますね◎

Blessings,

 

2021/8/28配信

 

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*ヴェリテの学習会・セッション*

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