ACIMを学び始めの方が気になってしまうことの1つに、「コースは自学自習するもの」、「独習コースです」と言われているらしい、というのがあるようです。多くの方が、コースのことを「自習」、「独習」という言葉を使って説明されているので、自分一人で学ばなくてはいけないのか、こんなにも難解なのに・・と、ACIMが近づきにくいものだと感じてしまうようです。

わたしも学び始めの頃に知ったものの、「自習」/「独習」という言葉に疑問を感じていました。とても違和感があったのです。
疑問を抱いたときは、いつもホーリースピリットもしくはイエスに託すようにしているので、このことはイエス(ACIMの話し手、真の教師、作者)に預けることにしました。

その後の流れについては以前記事に書きましたが、さらに今年になって新たにわかったことがあるので、もう一度ここで整理しておきたいと思います。

 

まず、言葉の意味から確認してみましょう。

自習:他者の指導を受けないで、自分で学習・練習すること。(明鏡国語辞典 第二版)

独習:先生につかないで、自分一人で習うこと。(明鏡国語辞典 第二版)

self-study
the study of something by oneself, as through books, records, etc., without direct supervision or attendance in a class (dictionary.com)

 

コースが、もし「独習コース」であるとしたら、ACIMの内容について、人からの指導は受けることなく、教えてもらうことなく自分一人で学ぶという意味になります。

気になるのは、それはイエスが言ったことなのか、という点です。調べてみればわかることですが、ACIMの中には一切、「自習」/「独習」(self-study)という言葉は出てきません。

 

アメリカの、何十年とコースを教えておられる、ある有名な先生が、コースは自習するものだという考えが広まっていることに疑問を抱き(1990年代のことのようです)、調べられたそうです。

そこで明確になったことは、出版されたバージョンのACIMの中で述べられていないだけではなく、ヘレンさんがイエスから受け取ったガイダンスの記録の中にも、「self-study」(自習/独習)という言葉は1箇所も見当たらなかったということです。

その先生は、もしかしたら非公開のガイダンスとしてイエスから述べられたものかもしれないと、亡きヘレンさんと近い関係であったケネス・ワプニックさんと、ジュディス・スカッチさんに尋ねたところ、二人とも、「自習」/「独習」という言葉の出所について、思い出すことができなかったそうです。

ケネス・ワプニックさん曰く、イエスのガイダンスによるものではなく、おそらくヘレンさんが自分で思いついたことなのだろうという返事だったと、その先生が実際確認されたことを公開しておられました。それをわたしはつい最近知ったのです。

「self-study」(自習/独習)というのは、ヘレンさん自身が考えたことだったようなのです。

 

ちなみに、『天国から離れて』という本で、ヘレンさんについて、ケネス・ワプニックさんが次のように述べているところがあります。

彼女は『講座(コース)』が何を言わんとしているのか、誰がそれを語っているのかを知っていた。そして、そうしたことを自分が理解しているかのごとくに振る舞う者たちすべてに対し、ヘレンの自我は、時折我慢ならなくなることがあった。ヘレンは、こうした学生たちを真正面から見抜くことができたし、彼らは彼女の軽蔑と怒りの対象となった。

ヘレンが『講座(コース)』を理解していたことは確かだったが、『講座(コース)』のことを他の人々に説明することはもちろん、『講座(コース)』について話すこと自体が彼女にとっては困難なことだった。だから、彼女はめったに誰かに対して『講座(コース)』の教師という役割を担うことはしなかった。

(『天国から離れて』/中央アート出版社)

 

もしかしたら、こうしたこともあって、ヘレンさんは「self-study」という言葉を使われたのかもしれませんが、1つはっきりしていることは、イエスは決してそのようなことは言っていないということです。

テキストを最後まで読んでいない(精読していない)し、ワークブックも最後まで取り組んでいないにもかかわらず、「奇跡のコース/奇跡講座について教えます」、「学習会をします」、「コースでのゆるしを説明します」、「ホーリースピリットにお願いして奇跡を受け取る方法をお伝えします」などと言う人が増えてしまうと、学び始めの人はその内容(歪曲されている、もはや別の教え)を鵜呑みにしてしまい、どんどん学びがズレていってしまうことになるので、イエスが「self-study」(自習/独習)とは一度も言ったことがないにせよ、理解の浅い人が「教師」になろうとする(そういうポジションにつきたがる)傾向があることには、非常に注意が必要だろうとは思います。

これから学ぶ方、学び始めの方は、信頼できる先生、学習歴が長く、理論を語るだけで止まっているのではなく、実際に教えを実践しておられる先生のもとで、時間を無駄にすることなく学ぶことが、わたしの経験上から言っても、望ましいことだろうと思っています(わたし自身、長く、コースの先生から教わっています)。

 

また、テキストを精読し、ワークブックに真剣に取り組み、学びを深めていく過程において、イエス/ホーリースピリットのガイダンスによって、学びを分かち合うお役目に運ばれる方(特別な存在ということではありません)が、きっと日本でも増えてゆくことと思います。

教えるとは、手本を示すことである。存在するのは二つの思考体系だけであり、あなたはいつでも、自分がそのどちらか一方を真実だと信じているということを、手本として示している。あなたが示す手本から他の者が学び、同じくあなたも学ぶことになる。

(M-in.2:1-3/『奇跡講座 下巻』/中央アート出版社)

上記からわかるように、教えるというのは、ACIMの内容をレクチャーするという意味ではありません。自我の思考体系ではなく、聖霊、ホーリースピリットの思考体系を真実だと信じているということを示すお手本でありたいですね。

ホーリースピリットの思考体系、ゆるし、平安、喜びの静かな心を分かち合えるようになるには、言わずもがな、テキストを読み、学び、ワークブックを通して実践し、マニュアルに記されていることを丁寧に読むことです。そうしてガイダンスに従うことです。

自己流で歪曲したり、他の教えと混ぜ込んで別のものに変えてしまう(妥協点を見つけようとしたり、折り合いをつけようとする)ことは時間を無駄にすることですから、そのような自我の行動には出ず、真摯に向き合い、忠実に学ぶ姿勢を保ち続けたいものです。

 

今、あなたの学びを速めなさい。そして、すでに学んだことを超えて、これから学ぶべきことへと進まない限り、あなたは時間を無駄にするだけだと理解しなさい。

(T-31.IV.4:7/『奇跡講座 下巻』/中央アート出版社)

幸せから遠ざかる道を辿ることで、幸せが見出せると考えてはならない。2これは意味をなさず、進むべき道ではあり得ない。3このコースが難しくて学べないと感じているように見えるあなたに、私は繰り返す。ゴールを達成するためには、そこから遠ざかるのではなく、それに向って進んでいかなければならない。4そして、それ以外の方向に行く道はどれも、見出すことのできる目的へと前進することにはならない。5もしこれを理解することが難しいというのなら、このコースを学ぶことは不可能である。 6しかし、不可能なのはその場合のみである。7そうでない限り、これは当たり前のことについての単純な教えだからである。

(T-31.IV.7/『奇跡講座 下巻』/中央アート出版社)

 

これまで学んだことを白紙に戻すのが、真の学びです。
この世界と折り合いをつけようとしても、真理と幻想は決して和解することがないのですから、意味がありません。妥協はできませんが、それは苦しい道なのではなく、妥協しないことによって救われる本当の幸せを思い出せるのだと感じます。折り合いをつけようとして失敗してきたこれまでのほうが、どんなに惨めで、無意味で、苦痛だったことでしょう。

わたしたちは、イエスを、ホーリースピリットを教師にして、平安と幸せへ導いてもらいます。もう後ろは振り返りません。その道中、一歩先を、数歩先を歩む先輩に、助けてもらってよいのです。学ぶ姿勢や、学習の仕方、心の向け方や、ヴィジョンを受け取るために大切なこと、テキストの内容や読み方、ワークブックで行き詰まったときに思い出したいこと、どんなことでも尋ねてみてください。真摯に取り組んでこられた先輩なら、丁寧に答えてくれます。

コースの学びに上下関係はありませんが、「自習」/「独習」だと信じて、文字通りたったひとりで、分厚くて、難解であるテキストに向き合わなくてはいけない、などということはないのです。そのようなことはイエスは指示していないということを思い出しましょう。

 

日本でも、自己流解釈ではなく、教えに忠実に学んでおられる方々がいらっしゃいますし、ティーチャーとして活動しておられる方々もいらっしゃいます。出逢いを求めておられる方は、ホーリースピリットにゆだねてみてください。自然と運ばれることと思います。
(場合によっては、わたしがご紹介できることもあるかもしれません)

もしくはヴェリテで、お仲間のみなさんと一緒に学びを深めたいなと思われましたら、いつでもお気軽にご連絡ください。
わたしの場合は、お世話になっている、国際的に活動されているコースの先生から頂いたありがたいお言葉を胸に、ACIM Teacherを、真に謙虚に受け止めることを決意し、活動しています。

上下関係ではない、真に対等な、神聖な関係として、共に学びを深め合い、真の癒しを受け取ることができるよう、共に目覚めの道を楽しみながら、喜びながら歩んでいけましたらと思います。

一緒に心の手を取り合いましょう・.*

Blessings,

 

2021/8/23配信

 

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