#013

ACIMはじめてさん向けコーナー

 

今回は、学び始めの頃に多くの方が
やりがちなことについて書いてみます◎

なおご紹介くださる場合は、
このページのリンクをお知らせいただけましたらと存じます。
(本文のコピーはできません©️)

コースの教えの中には、「心が原因」、
「どう見るかの責任は自分にある」
といったものがあるので、

学び始めの頃、誤解して
なぜこんなことが起きたんだろう、
どうしてこの人はあんなことを言ったんだろうと
自分であれこれ分析したり

自分の性格が悪いから、
自分がよくないことを考えたから
こんなひどい目に遭ったんだ、とか

この人がわたしに投影してきたせいで
こんな嫌な目に遭っているんだと
「犯人探し」をしてしまうことがあるようです。
(誰のせい?/どっちが悪い?など)

 

これはどちらも自我(エゴ)がすることであり
コースが伝えていることは
こういったことではありません。

こうしたことをしていたからといって
自分を責めないでくださいね、
それでは自我の思う壺ですから(>_<)

ついやりがちなことなので
学習初期の「あるある」と言えます。

 

コース理解における第一人者と言われている
ケネス・ワプニックさんの著書に
このように述べられているところがあります。
 

私たちのすべての問題の原因は私たちの心の中にあると、奇跡が教えてくれる

奇跡が行うのは、「問題は誰か他人の中にあるのではなくて、自分の中にある」と言うことだけです。

(『奇跡の原理』/中央アート出版社)

ただ、これは自分の何が悪かったのかと
分析すべきだという意味ではありません。

 

平安がないことの真の原因は、私たちが何かについて誰かを咎めているということです。私たちの中には何らかの「赦しの欠如」が存在していますから、解決法は常に、赦しの何らかの側面の形でやってきます。誰かとつながるということの何らかの形でやってきます。それが行動のレベルであろうと想念のレベルであろうと、どちらでもかまいません。また、この世界の中で私たちが抱えていると思っている問題の一つひとつが、赦そうとしない気持ちの表れだと認識することが鍵となるということを、覚えておいてください。

(『奇跡の原理』/中央アート出版社)

 

自分を責めたり、他者をジャッジしたりして
ほんとうのわたしたち(真の自己)を、
聖なるスピリットであるという事実を否定し
攻撃することをやめることが重要です。

そして、ゆるしは、
聖霊(ホーリースピリット)がすることであって
自分ですることではありません。

ここも、勘違いしやすいところです。

 

私たちが気にかけるべき唯一のことは、自分の自我を聖霊のもとまで運ぶことのみであり、赦しの延長は私たちの責任ではないと述べられています(T-22.VI.9:2-5)。そこが、私たちがしくじりやすいところです。・・(中略)・・私たちの責任は単に、何かについて、自我がそれを見る見方ではなくイエスが見る見方で見るための助けを求めることだけです。それだけが、私たちの唯一の責任です。それが、奇跡というものです。

(『奇跡の原理』/中央アート出版社)

 

わたしたちの唯一の責任は、
自我(エゴ)の、これまでの自分の見方ではなく

聖霊(ホーリースピリット)
もしくはイエスの見方で見られるよう
助けを求めることだけ

 

これは、ネガティブに捉えていたものを
ポジティブに捉え直すという意味ではありません

鏡が手から滑り落ちて割れたときに
「ああ、不吉。嫌なことがあるに違いない」
そう考えたものの

「いやいや、訂正、訂正、
ホーリースピリットの見方で見るのよね、

・・きっと不要な縁が切れるって意味ね、
何も心配する必要ないわよね、
ああ安心、ホーリースピリットありがとう」

などと勝手に意味づけしたり
勝手にこじつけることではないわけです。

 

上司の愚痴ばっかり言う職場の同僚に
周りがあきれて距離を取りはじめ、

席が近い自分に、今まで以上に愚痴を
言ってくるようになったので、

「こんなこと聞かされたくない、
なんなの、この人。鬱陶しいなあ」と
苛立ちながら思ったときに

「そうそう、ゆるしが大事なのよね、
こんなことでイライラしてたら
わたしが損するだけだし
時間ももったいないわよね」と思い、

「まあ、この人も苦労してんのよね、
奥さんとうまくいってないらしいし。
かわいそうなとこもあるしね。
でも、愚痴を言えば周りに嫌われるわけだし、
反面教師って感じかしらね、ゆるすことにするわ」

などと考えても
何の意味もないのです(>_<)

 

聖霊は、あなたの肉眼が兄弟の中に見ているものによって彼を判断するようにと教えることはない。兄弟の口からあなたの耳に語られる言葉も、あなたの指の感触が兄弟について報告することも、同様である。聖霊はそのような根拠のない証言を素通りしていく。それらはただ神の子について偽証するだけの言葉である。聖霊は神が愛しんでいるものだけを認識する。そして、聖霊の見るものが放つ神聖な光の中では、あなたの本性についての自我の夢は、聖霊の目に映るその輝きを前にしてすっかり消え失せる。

(W-pI.151.7:2-4/『奇跡講座下巻』/中央アート出版社)

 

聖霊は、あなたが見ているすべてのものを解釈し直す。完全に統一された確実な一つの判断基準に基づいて、あらゆる出来事、あらゆる状況、あなたに影響を与えるように見えるどんな出来事をも、解釈し直してくれる。そしてあなたは、憎しみを越えたところに愛を、変化の中に不変性を、罪の中に清きものを、世界の上に天国の祝福のみを、見るようになる

(W-pI.151.11:2,3/『奇跡講座下巻』/中央アート出版社)

 

聖霊(ホーリースピリット)の見方で
見るということがどういうことか、

たとえばこのレッスンの文章から
窺い知ることができます。

自分の見方、自分の分析や
犯人探しがいかに的外れか
よくわかる内容ですよね^^

自分流解釈というのは不要なのです◎

 

ホーリースピリットの目には
誰もが美しい光の子、
聖なるスピリットであり、
愛そのものとして映っています。

肉眼をあてにせず、誰のことも
心の眼で、ホーリースピリットの見方で
見られるようになると

自分自身のことをゆるせるようになり
ほんとうの自己の光
思い出すようになります・.*

 

分析したり犯人探しすること、
勝手な意味づけや意味探しをすることは
自我を教師にし、分離を見続けること、
差異を、罪を見続けることです。

そうであるから、心が平安ではないのです。

 

気がかりや心配や不安がなく、いついかなる時も凪のように穏やかでいるとはどのようなことか、あなたに想像できるだろうか。だが、それが時間の目的である。すなわち、それを学ぶため、そしてそれだけを学ぶために、時間がある。

(T-15.I.1:1-2/『奇跡講座上巻』/中央アート出版社)

 

自我の見方ではなく
ホーリースピリットの見方で
見られるようになると、

人生をゆるしという唯一の役割のために
ホーリースピリットに使ってもらうと
決断するなら、

気がかりや心配や不安がなく、
いついかなる時も凪のように
穏やかでいることができるようになる・・

繋がりをいつも感じ、感謝し
満ち足りた心、喜びあふれる心で
世界を優しく見ることができる・・

 

それは、確かなことだと思います。

わたし自身、練習中ですけれども
イエスの言っていることは偽りではなく
本当のことだと感じます。

「いついかなる時も」
というところにはまだ至っていませんが
随分長くなってきたように感じられるからです。

 

たとえばこのとき書いたことのように
ホーリースピリットに祈り、
神の子の美しさを
毎日見させていただいていると

波打つ・・ということは
ホーリースピリットと繋がっているときには
あり得ないことであり

平安と喜びの中に、光の中に、
一体性の中に溶けている幸せを
感じられるのだと次第にわかってきます。

実践あるのみです^^

自分に優しく、一歩ずつ・・
一緒に進んでいきましょう・.*

Blessings,

 

2021/6/12配信

 

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