#038

ACIMはじめてさん向けコーナー

 

今回は、コースを学ぶうえで
とても大切なことについて
書いてみたいと思います。

なおご紹介くださる場合は、このページのリンクを
お知らせいただけましたらと存じます。
(本文のコピーはできません©️)

ACIMを真に学んでいると、
人生が180度ひっくり返ることになります。

穏やかで優しい世界のなかで
幸せに暮らし続けることができ、
愛と奇跡の贈り物を日々受け取れます。

それが“自然”なことになります。
 

なぜなら、苦痛という結果を
受け取ることになるような選択をしなくなり、

癒しという結果を受け取ることになる決断を
保つことができるようになるからです。

わたしの場合、確か、もう10年は
苦痛知らずの、
悩むことのない日々を過ごしています。
(悩み方を忘れました)

何かが自分の身に降りかかってくる、
ということは全くありません。
disaster知らずの人生です。

今となっては、クラスの方々と祈り、
奇跡の経験のご報告を
お伺いする日々を送っています。

 

わたしたちは教師を選べます。
自我(ego)を教師にするか、
聖霊(Holy Spirit)を教師にするか。

自分で判断して、計画して、決めていく
これは自我を教師にしている心の状態です。

内なるガイドにすべて委ね、導きに従う
これが聖霊を教師にしている心の状態であり、
静かな喜びと感謝を抱いている状態です。

 

A Course in Miracles
ア・コース・イン・ミラクルズ
(『奇跡のコース』/『奇跡講座』)は、

自我(恐れ・裁きを選ばずに
聖霊(愛・ゆるし)を選べるよう、
心がシフトできるよう導いてくれます。

幸せを求めているようで実は苦痛を求めている、
自分いじめの人生を歩む者たちの心を、
幸せと平安へと導くためのものだと言えます。
(まさに、180度のシフトです!)

 

 「どうすれば生涯のパートナーと出会えるのだろう?」
 「このまま結婚生活を続けるべきか、それとも別れるべきか?」
 「今月の支払いをどうすればいい?」
 「情熱と収入、どちらも手に入る仕事はあるだろうか?」
 「自分の居場所は一体どこにあるんだ?」
 「どうすれば健康でいられるだろう?」
 「わずらわしい身内にどう対処すればいい?」
 
などなど、厄介な選択に次々と直面すると、人生に圧倒されるような感覚になるかもしれません。
 
 しかし、こうした選択はすべて見せかけですたったひとつの、本当の選択とは、恐れか愛のどちらを選ぶか、ということだけです
 恐れは苦痛をもたらし、愛は癒します。これ以外のことはすべてあなたの解釈にすぎません。
 恐れを抱く心は、物事を複雑にすることで、この世の中の困難が避けられないもののように思わせます。
 
 ところがACIMによれば、この世界は厳しい場所などではなく、それどころか苦悩を避けることが可能だと教えています。
 つまるところ、すべての選択は、癒しをもたらすものと、苦痛をもたらすもの、このふたつしかないのだということがわかると、あなたの想像よりはるかに早くたやすく、心は平安を得て、本当の家に帰る道を見つけることができるでしょう。
 

アラン・コーエン. 今まででいちばんやさしい「奇跡のコース」 (Japanese Edition) (p.28). Kindle 版. 
emphasis mine

 

自我を教師にするということは、
苦痛を求めているということです。

この世界の中に幸せを見つけようとすることは、
苦痛を求めるということです。

懲りない心は、聞く耳を持たず、
この方法ではうまくいかなかったけれど
他の方法ならできるはず!と躍起になります。

それで・・どうでしょう、
自分のやり方で、幸せと平安がずっと続く・・
苦痛知らずの、悩み知らずの、
愛と奇跡に満ちた毎日を
過ごせるようになるでしょうか。

 

自我を教師に選んでいる状態、
自我と同一視している状態の心は必ず投影します

自分の中の、自分いじめの暗い思いを
(コースでは「罪悪感」と呼んでいます)

自分の体や他者に投げ飛ばす/映し出すのです。

病気になったり、トラブルが続いたり
次から次へと問題が勃発して
苦痛を経験することになってしまいます。

苦痛を望んだので、苦痛を経験するのです。

 

コースの学びをやめた人が、
次から次へと問題が生じてしまって辛くなり、
「やっぱりこれだ」と感じて、放っておいた
コースに戻ってくる、というケースがあるようです。

外側に答えはなく、
内側に答えがあるということを思い出せるよう
誰もが導かれます。

わたしたちはみな、愛されているからです。

 

恐れは苦痛をもたらし、愛は癒します。これ以外のことはすべてあなたの解釈にすぎません。恐れを抱く心は、物事を複雑にすることで、この世の中の困難が避けられないもののように思わせます。
ところがACIMによれば、この世界は厳しい場所などではなく、それどころか苦悩を避けることが可能だと教えています。
つまるところ、すべての選択は、癒しをもたらすものと、苦痛をもたらすもの、このふたつしかないのだということがわかると、あなたの想像よりはるかに早くたやすく、心は平安を得て、本当の家に帰る道を見つけることができるでしょう。
 

 

選んだほうを経験します。とてもシンプルです。

そして幸いなことに、いくら苦痛好きだとしても、
苦痛には限界があるので、決断を変えることができます。

 

4幽閉された意志は、その極限においては、まったく耐えられなくなるような状況を生み出す。5苦痛に対する許容度は、高くなることはあっても限界のないものではない。6いずれは誰もが、たとえ漠然とでも、もっと良い道が必ずあるはずだと認識し始める。7この認識がさらに確固としたものになれば、それが転換点となる。

T-2.III.3:4-7
『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社

 

耳を貸さず、自分でなんとかしようとし、
(つまり自我を選んだ状態で)

この世界をリアルだと信じ、
自分のものの見方を正当化し続け

そのようなことをするせいで
苦痛を感じることを引き起こし続け、
(でも自作自演だとは認めることはせず)

とうとう耐えられないほどの状況にまで
膨れ上がってしまったとしても、

それほどの苦痛をいつまでも
許容できる人はいない・・のですよね。
 

6いずれは誰もが、たとえ漠然とでも、もっと良い道が必ずあるはずだと認識し始める。7この認識がさらに確固としたものになれば、それが転換点となる。

 

自分で自分を幸せへと導くことはできません
できると思って頑張っても、うまくいきません。
頑張ってみなくとも、結果は明らかです。

それでも意固地にトライするか、
愛の呼びかけに素直になるか、

自分が選んだほうの結果を
受け取ることになります

 

わたしたちにふさわしいのは
罰や苦しみ、痛みではなく、
愛であり、奇跡であり、癒しです。

平和な心こそ“自然”な状態であり、
いちいち反応しては動揺するというのは
不自然なのです。
 

わたしたちには
幸せが約束されているというのに、

どうしてそれに逆らうような決断を
する必要があるのでしょうか。

どうしてわざわざ遠回りして
どうしてわざわざ時間を無駄にして
悩んだり苦しんだりする必要があるのでしょうか。

 

そんなに、自分のことが憎いですか?

そうまでして、勝ちたい理由は??

自分だけが苦しむことになるのに
そうまでして意地を張る理由は??

死ぬまで自分を
追い詰めるつもりでしょうか??

・・そのような人生を喜べるでしょうか?

 

 

もっと良い道があります。ここに。

ホーリースピリットが導いてくれます。
ずっと待ってくれています。

奇跡が待ってくれています。
愛が待ってくれています。

拒んでいたのは自分だけだったのだと
認めることができたとき
扉が開いて、奇跡を受け取れます。

 

苦痛はふさわしくありません。
悩む必要はありません。

ホーリースピリットには、
わたしたちに苦痛を与えて、
ここから学べ!と言うような
悪趣味はありません。笑

罰はふさわしくありません。
愛がふさわしいのです。

 

教師を変えましょう
 
テキストを読んでみましょう。
ワークブックのレッスンに取り組んでみましょう。

導きに従いたいと思っているなら
何かしら、コースに触れてみましょう。

それはキツい!と思えるほど抵抗中の方は、
静かに祈ってみましょう。

 

ホーリースピリットは待ってくれています
愛が待ってくれています。
奇跡が、待ってくれています。

あなたが心を開くのを。
自分をゆるすと決めることを。
誰の中にも光を見る選択をすることを。
 

Blessings,

2022/6/25配信
©️2022 Sueyoshi Ai

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