『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson337:わたしの罪のなさは、わたしを、すべての危害から守ります。
  
今日のレッスンにも、とても大切な教えがあります。
 
必要なことはすべて、神がすでに成されました。わたしは、自分では何もする必要がないということを学ばなければなりません。

 
この「必要」について、丁寧に振り返ってみたいと思います。
 
至聖なる神の子が完全に正気であるがゆえに、父を讃えなさい。あなたの父は、あなたには何の必要もないと知っている。天国においては、その通りになっている。永遠の中では、あなたに必要なものなどないからである。あなたの世界の中では、あなたは確かにいろいろな物を必要とする。それは欠乏の世界であり、あなたに不足があるからこそ、あなたはその世界の中に居る。だが、このような世界の中であなたは自分自身を見出せるだろうか。聖霊が居なければ、答えは「否」である。だが、聖霊のおかげで、答えは喜びに満ちた「然り!」である。二つの世界の間の仲介者として、聖霊はあなたが必要なものは何か、そしてあなたを傷つけないものは何かを知っている。

 

自我があなたに必要だと告げるすべてのものは、あなたを傷つける。…(中略)…自我は自分が救済を見るその場所に分離を見ているので、あなたは自我の名において獲得した物はどれもみな失うことになるからである。だから、何が必要かを自分自身に尋ねるのはやめなさい。というのも、あなたは知らないので、自分自身への忠告はあなたを傷つけるからである。

 
あなたが自分に必要だと思うものは、単に光に対抗してあなたの世界を守り固めるのに役立つだけであり、この世界があなたにとって真にもち得る価値について疑問視しようとする意欲を、あなたから失わせるだけのものだからである。
聖霊のみが、あなたに何が必要かを知っている。光への道を阻むことのないすべてのものを、聖霊はあなたに与える。そしてそれ以外に何が、あなたに必要だろう。

 
  聖霊は私をキリストへと導く。そして私はそれ以外のどこへ行きたいだろう。
  キリストの中で目覚めることの他に、私にどんな必要があるだろう。

(『奇跡講座 テキスト編』T-13.VII.10-14より抜粋/中央アート出版社)
 
 
何かをするには肉体が必要である。だから自分は何もする必要がないと認識するなら、あなたは自分の心から肉体の価値を退けたのである。ここに、数世紀分の努力をすり抜けて、あなたが時間から速やかに脱出できる開かれた扉がある。これが、今すぐに、罪がすっかり魅力を失う道である。なぜなら、ここでは時間が否定され、過去と未来はなくなっているからである。何もする必要がない者に、時間は必要ない。何もしないとは休息することであり、肉体の活動が注意を要求しなくなる場所をあなたの中に作ることである。この場所に聖霊が訪れ、そこにとどまる。

(『奇跡講座 テキスト編』T-18.VII.7/中央アート出版社)
 
 
 
Lesson251
わたしは、真実だけを必要としています。
 
 
 
天国においては、真実においては、わたしは神の子であり、永遠にそれは変わることがありません。
分離は一度も起きてはおらず、何の罪もないのです。
どこにも欠落はないので、埋めなければならないものは何もなく、だから何も必要ではありません。
 
もし、分離が本当に起きたのだとして、それを神が罪だとみなすのなら、わたしは罪を償わなければならないでしょう。
けれども、神はこの世界を作ってはいないし、ご存知ではなく、ここはただの幻想、夢に過ぎないのでした。
罪を償うも何も、分離は起きてはいないのです。この世界は、実在していないのです。
 
それでも、わたしにはここがリアルなのだと思えていて、この身体が自分なのだと思い込み、自我と同一視してしまっている、正気ではない思考をなおも抱いているつもりになっています。
分離に対する罪悪感、神への攻撃心と自己憎悪が、本当にあるのだと錯覚しているのです。
 
けれども、アトーメント(贖罪、和解、あがない)という、悪夢から神の子を目覚めさせる計画がありました。救いという神による約束がありました。約束は、必ず果たされます。
 
 
自我(エゴ)の叫ぶ、「○○が必要だ!」という声は、手枷足枷であって、決してわたしを自由にはしてくれません。この幻想に、狂気の思いにとどまらせるものであり、つまりそれは、罪を見続けるということなのです。
 
罪を見ることを選ぶということは、攻撃を選び、また、傷つくことを選ぶということ。
 
 
わたしの罪のなさは、わたしを、すべての危害から守ります
 
 
危害というものは、神の教師たちにとって不可能なものである。彼らは危害を及ぼすことも、危害を被ることもあり得ない。危害とは裁きがもたらすものである。それは不正直な想念の後に続いて起こる不正直な行為である。それは兄弟に対する有罪判決であり、したがって自分自身に対する有罪判決である。それは平安の終わりであり、学びの否定である。

(『奇跡講座 マニュアル編』M-4.IV.1/中央アート出版社)
 
 
 
つい、自分を責め立てそうになることがありますが、ドラマに入り込んで自分を咎めても、何の意味もないのです。
 
 
罪のなさを見ること、ほんとうの完璧さを見ることを願い、ホーリースピリットに助けてもらう。
訂正をお願いする。
 
聖霊はすでに取り消してくれているのだから、わたしは自分では何もする必要がないのでした。
 
 
どれほど、父は、神の子を、わたしたちを、愛してくれているのでしょうか。
感謝を捧げます……。
 
Blessings,
 
2019.4.2
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック12 創造の海へ/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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