『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
初めて読まれる方はこちら

 

Lesson328:わたしは、1番目を得るために2番目の立場を選択します。
  
とても興味深い、素晴らしいレッスンだと感じます。
 
2番目のように見えるものが1番目です。神の声に耳を傾けるまでは、わたしたちが知覚するものはすべて逆さまになっているからです。わたしたちには、分離していようと懸命に努力することによってのみ自立性が得られ、神が創造されたその他の人たちから独立していることが救いを手に入れる道のように思えます。けれども、わたしたちが見いだすものといえば、病、苦しみ、そして喪失や死だけです。

今日のレッスンはこのような内容から始まります。
 
 
2番目のように見えるものが1番目。
ここで思いだしたのは、「自我は常に先に語る」です。
 
テキストでは二箇所、出てきます。
 
二つの声が同時に、同じものについての別な解釈を代表して語っている。あるいは、ほとんど同時と言ったほうが良い。自我は常に先に語るからである。最初の解釈がなされるまでは、それに代わる別な解釈は不要であった。
 
自我は裁きを下しつつ語り、その決断を聖霊がくつがえす。これは、この世界で上級裁判所が下級裁判所の判決をくつがえす力を持っているのとよく似ている。自我の決断は常に間違っている。

(『奇跡講座 テキスト編』第5章/中央アート出版社)
 
 
分離という思いが生まれなかったら(実際には、一度も生じてはいないけれども、そのような妄想、狂った思考を抱いたつもりにならなかったなら)、「再解釈」という2番目、聖霊の助けの必要性がなかったわけです。
 
「自我は裁きを下しつつ語り」(1番目)、「その決断を聖霊がくつがえす」(2番目)。
 
 
けれども、真実を言えば、神にとっては分離(地上での1番目、この世界というエゴにとっての1番目)は知らないこと(一度も生じてはいないから)であり、神にとっては永遠に1番目とは、神の意志、愛そのもの、神と神の子の一体性そのものであって、それを再解釈する必要などないのでした。
 
ほんとうの1番目(天国、神と神の子の一体性)を得る、つまり思いだすために、地上での2番目(聖霊による再解釈、訂正、ゆるし、奇跡)を選ぶ。それだけがわたしにできることです。
 
 
 
また、「わたしたちには、分離していようと懸命に努力することによってのみ自立性が得られ、神が創造されたその他の人たちから独立していることが救いを手に入れる道のように思えます」と述べられている箇所も、丁寧に見ておきたいところだと感じます。
 
テキスト第4章にこう書かれています。

自我とは、心が抱く「自分は完全に自立している」という信念である。自我は絶えず霊からの承認を得ようとし、それによって自らの存在を確立しようとしているが、そうした試みは徒労である。

 
第11章では、
 
自我のゴールとは、はっきり言うなら、自我の自立である。つまり、自我の目的は最初から、分離して自足的となり、自分のものではないどんな力からも独立したものとなることである。だからこそ、自我は分離の象徴なのである。

(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)
 
 
もう少し深めてみます。自我にとっての救済とはどのようなものだったか、です。
それはワークブックのレッスン71で学んだことです。振り返ってみます。
 
自我による救済計画は、不満を抱くことを基軸としている。その計画は、もし誰かの言動が違ったものであったなら、またはもし外的な状況や出来事が変わっていたなら、あなたは救われるだろうと主張する。つまり、救済の源は常にあなたの外にあると知覚される。あなたが抱く不満はどれもみな一つの宣言であり、あなたが信じていることの主張であり、それは「もしこれがこうでなかったなら、私は救われるだろうに」と言っている。そうして、救済のために必要な心の変化は、あなた自身を除いたすべての人とすべてのものに対して要求される。
 
そうすると、この計画においてあなたの心に割りあてられる役割は、あなたが救われるためには、あなた自身以外の何が変わらねばならないかを決めることだけである。この狂気の計画によれば、救済の源として知覚されるもので、実際には救済をもたらさないものなら何でも受け入れられる。これにより、実りのない探求が確実に続いていく。というのも、これまでこの望みはいつも叶わなかったが、ほかの場所、ほかのものになら、まだ希望を抱く根拠がある、という幻想が続いて行くからである。別の人ならばもっとよくしてもらえるだろう、別の状況なら成功が得られるだろう、と。
 
それが、自我によるあなたのための救済計画である。これが、「求めよ、されど、見つけることなかれ」という自我の基本的教養といかにうまく合致するものであるか、あなたにもわかることだろう。救済が絶対に見つからないようにするには、救済を探し求める努力をすべて、救済が存在しないところに向けること以上に確実なやり方はないからである。
 
(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)
 
 
 
自我は常に先に語る。
広い意味で言えば、それは分離を選ぶという決断であり、狭い意味で言えば、日常でのあらゆる不平不満、ジャッジのことだろうと思います。
 
もし、何かほんの少しでも不平不満を抱いたなら、それは地上での1番目。分離を続けたいという狂った考えによる声。それに耳を傾ける代わりに、地上での2番目。ホーリースピリットに訂正をお願いする。ホーリースピリットの声にのみ従う。
ほんとうの救済のあるところに求めなければ、何の意味もないのだから。

地上での2番目を選ぶことによって、ほんとうの1番目、神の意志を思いだせる。神の約束は必ず、果たされる。
 
ここには、救いなどない。
ここには、わたしの望むものは何もない。
それを忘れずにいたいです。
 
今日は、エゴの声(第一声)に気づき、「いいえ、わたしはこれを選びません。2番目を、聖霊の訂正を選びます」と決断する場面がありました。
 
ほんの小さなことのように思えても、それでもこうして日常のなかで、丁寧にゆるしを続けていくことを怠らずにいたいです。
何より、わたしは、神の意志以外には、何も望まないのですから。
 
 
Blessings,
 
2019.3.24
 
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック12 創造の海へ/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 
 
(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
その他のレッスン記録についてはこちら
 
 
時折配信しています◎お気軽にご登録ください