『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson319:わたしは、この世界の救いのために来ました。
  
冒頭に、こうあります。「わたしは、この世界の救いのために来ました」について。
 
これは、あらゆる傲慢さが取り去られ、真実のみが残っている考え方です。傲慢さとは真実に対抗するものだからです。

 
傲慢さについては、他のレッスンやテキストでも繰り返し述べられてきました。
 
 あなたの願望から離れて世界は存在しない。そして、このことの中にあなたの究極の解放がある。自分が何を見たいかについて自分の心を変えれば、それにつれて世界の一切が必ず変化する。想念はその源を離れない。…(中略)…あなたが見ている世界はあなたが作り出したということや、あなたが心を変えれば世界は変わるということをあなたに教えるのは、傲慢さではない。
 傲慢なのは、あなたが自分と切り離されている世界に生まれてきたと論じることであり、その世界は自分が考えることに左右されず、自分が世界をどういうものと考えようと、それと世界はまったく別の物だ、と考えることである。世界は存在しない!これがこのコースが教えようとしている中心概念である。

(『奇跡講座 ワークブック編』レッスン132/中央アート出版社)
 
 
神が混沌を作り出し、ご自身の意志を否定し、真理の対極を作り上げ、生命(いのち)に勝利する死を黙認すると考えるなら、それこそが傲慢である。謙虚であれば、こうしたものが神からのものでないことはすぐにわかる。あなたには神が創造しなかったものが見えるのだろうか。見えると思うのなら、神が意志しなかったものを自分が知覚できると、あなたが信じているというだけのことである。そして、これ以上に傲慢なことがあるだろうか。

(『奇跡講座 ワークブック編』レッスン152/中央アート出版社)
 
 
そして、思いだすのはこのレッスンです。
 
レッスン186
世界の救済は私にかかっている
 
ここに、いつの日かどの心からも一切の傲慢さをぬぐい去る言葉がある。これは真の謙虚さの想念であり、自分に与えられた機能(はたらき)だけしか自分のものとしない。この想念により、あなたは別の役割につくことを主張することなく、自分に任された役目を受け入れるようになる。

…(中略)…

私たちに求められているのは、自らの役割を純粋な謙虚さをもって受け入れることであり、自分たちがその役にふさわしいことを、自己欺瞞からくる傲慢さによって否定しないことだけである。

(『奇跡講座 ワークブック編』/中央アート出版社)
 
 
 
自我がでっち上げた、制限のある世界、死の象徴、肉体を自分だと見る狂った捉え方、誤ったアイデンティティ。そんなものを大事にするのは傲慢でしかない。被るということはあり得ない。
分離など、一度も起きてはいない。
 
こんな世界——取引の世界、一方が得れば、もう一方は失うという世界。比較がもとになっていて、愛より競争を選び、投影のからくりを通して攻撃をする。ジャッジし、善悪を決め、優劣を決め、傷つかないようにと自分を守ろうとする世界——には、わたしが望むものは何もない。
 
 
 
ワークをしていると、子どもの頃に感じていたことを思いだしました。
何か、大切な使命を与えられているような感覚がずっとあったのです。
 
8歳のときでした。
学校から帰る途中、軽トラックにはねられたことがあります。
何メートルか記憶にありませんが、はね飛んでしまったにもかかわらず、右膝のかすり傷ですみました。

その日から、子どものわたしが抱いた疑問は、「なぜ、わたしは死ななかったのか」。
なぜ助かっているのか、何のためにここにいるのか、考えるようになったのです。
 
 
子どもなりに出した結論は、「神さまがわたしに何かをさせようとしている」ということでした。
何か、とても大事なことを、ここでしなければならないのだと感じたのです。
 
高校生になり、大学生になる頃には、そんな考えは馬鹿馬鹿しいと思うようになっていました。
自分を特別視したいだけではないかという、自分をわらう気持ちがありました。
 
 
もし、特別なミッションが与えられていると思っているなら、わたしにだけ与えられていて、他の誰にも与えられていないと思うのなら、確かにそれは傲慢な考えだと言えますが、子どもの頃に漠然と感じていた「何か」は、確かにあったのだと今は思います。
 
「わたしは、この世界の救いのために来ました」。
 
 
祈りのなかにいると、次は
 

Lesson18
わたしのものの見方の影響を受けるのは、わたしだけではありません。

Lesson19
わたしの思いの影響を受けるのは、わたしだけではありません。

Lesson137
わたしが癒されるとき、わたしひとりが癒されるのではありません。

これらのレッスンのことを思いだしました。

 

そして、わたしのハートから光があふれ出て、どんどん拡がっていき、時折瞑想のなかで見る、「光のネットワーク」のビジョンが見えてきました。

わたしたちはひとつで、むろん、身体などなく、際限の無い心の、光の拡がり——どこまでもそれは続いているのですが——、光で、愛でずっと共鳴し合っていて、繋がっていて、喜び合い、讃え合い、満ちているのです。

わたしが選ぶということは、みんなが選ぶということ。
わたしが見ることを決めるなら、みんなも決める、決めているということ。

わたしと誰かがいるのではなく、わたしたちはひとつなのだから。

ワタシという分離の思いを手放して、光というワンネスを選ぶとき、わたしとはこれだった、わたしとは光だった、わたしとは愛だった、わたしとは神とひとつだったと、思いだせるのだろうと感じます。

救いは、だから、ワタシから始まって、わたしで完結するのです。

 
 
 
 
Lesson39
わたしの聖性が、わたしを救います。
 

Lesson61
わたしは世界の光です。

Lesson62
ゆるしが、世界の光としてのわたしの役割です。

Lesson63
世界の光が、わたしのゆるしを通じて、あらゆる心に平和をもたらします。

Lesson70
わたしの救いはわたしから生じます。

Lesson96
救いは、わたしの唯一の自己から来ます。
 
Lesson99
救いは、ここでのわたしの唯一の役割です。
 
Lesson186
この世界の救いは、わたしにかかっています。
 
 
こうして何度も何度も・・学んできたことを、ほんとうに深く受け入れます。
 
 
Blessings,
 
2019.3.15
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック12 創造の海へ/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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