『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson315:わたしの兄弟が与える贈り物はすべて、わたしに属しています。
この箇所が、美しいなと感じました。
ひとりの兄弟がもうひとりにほほ笑みかけると、わたしの胸は喜びで満たされます。
わたしが生きるということ、その喜びは、たとえばこうしたところで深く経験されるように思います。
わたしが疑問に感じることの一つに、嫉妬という感情があります。
誰かが幸福を経験していると、幸せそうにしていると、それを面白くなく、腹立たしく感じる人がいるというのは、子どもの頃から不思議に思っていることでした。
誰かが幸福を経験していると、幸せそうにしていると、それを面白くなく、腹立たしく感じる人がいるというのは、子どもの頃から不思議に思っていることでした。
なぜか妬まれて、いじめられることも何度かありましたが、どうも理解できませんでした。
特に、その子たちに向かって自慢したり、見せつけたりしたわけでもありませんでしたから。
特に、その子たちに向かって自慢したり、見せつけたりしたわけでもありませんでしたから。
誰かが幸せそうだと腹が立つけれども、誰かが不幸せそうならホッとしたり、面白がったりする。
ニンゲンというのは、それにしても、どうかしています。笑
ニンゲンというのは、それにしても、どうかしています。笑
「他人の不幸は蜜の味」などという言葉があるくらいですし、ゴシップに注目が集まるのも、誰と誰が離婚するだとか、誰が不倫していたとか、どうでもよいことなのにそれを面白いと感じる人の数が多いということは明らかですが、こうした心理には、もちろん自我(エゴ)の、欠如を見たがる思い、分離の夢を長引かせたい思いが表れているわけです。
嫉妬というのは、「わたしにはそれは与えられなかった」という悲しみが攻撃心へと膨らんでいった証拠であり、深く観ていくならば、「わたしは神に愛されていない」という痛みの思いが横たわっていることがわかります。
そもそも、「他人の不幸」などというものはありません。
他人はどこにもいないのですから。みな、「わたし」です。マインドは1つであり、神の子はただひとりです。
他人はどこにもいないのですから。みな、「わたし」です。マインドは1つであり、神の子はただひとりです。
神の子Aちゃん、神の子B男くん、なんて、いません。笑
配役が決まっていて、シナリオが出来上がっていて、修羅場を迎えるシーンがしっかり入っているのは、むろん、エゴのストーリーです。
配役が決まっていて、シナリオが出来上がっていて、修羅場を迎えるシーンがしっかり入っているのは、むろん、エゴのストーリーです。
A子さんがB男さんと結ばれたなら、B男さんに思いを寄せていたC美さんが不幸になる。
それは、エゴのシナリオです。
それは、エゴのシナリオです。
「わたしには、与えられなかった」
「わたしは、奪われた」
「わたしには、足りないものがたくさんある」
「わたしは、損をしている」
「わたしは、奪われた」
「わたしには、足りないものがたくさんある」
「わたしは、損をしている」
それが、エゴのメインテーマ。
「これではないなら、もっと他に何かあるはずだ、探せ!」
時折、そんな教えも紛れ込んでいます。
時折、そんな教えも紛れ込んでいます。
見つかりっこないというのに。
幸福感と、帰属意識について考えてみると、なんだか興味深いなと感じます。
自分自身ではなく、誰かが幸せや喜びを経験していると、それを素直に喜べなかったり、祝福できなかったりするというのは人間の特質らしいことがわかりますが、常にそうだとは言えません。
自分のことではないけれども、その人が幸せや喜びを経験できることは、自分にとっても嬉しいこと。
そんなふうに感じることもあるはずです。
そんなふうに感じることもあるはずです。
ただ、しっかり見てみたいと思うのですが、こういう場合、たとえば家族、友人、恋人、仲間という、貴族意識に根ざしていることが多いのではないでしょうか。
オリンピックで、日本を応援する。日本が勝ったら嬉しい。わたしはその試合に出ていたわけではないけれども。
対戦相手が勝ったら、残念。喜べない。だって日本じゃないから。
こういうのも、あります。
こういうのも、あります。
自分自身の体験ではなかったとしても、自分が入れ込んでいる対象が経験する喜び、成功、幸せには、我がことのように喜べるわけです。
これはけれども、落とし穴だなと思います。
入れ込んでいないものに対しては、ときに冷徹だからです。
帰属意識を持つのなら、神への献身を忘れず、「神と、ただひとりの神の子」に思いを向け続けたいものです。
神の贈り物は、わたし「個人」に与えられるはずがありません。
ですから、「「わたしにはそれは与えられなかった」などということを、経験するはずがないのです。
ですから、「「わたしにはそれは与えられなかった」などということを、経験するはずがないのです。
個人とは、実在しないものです。
わたしの兄弟が与える贈り物は、兄弟姉妹すべてに、ただひとりの神の子に分かち合われたもの。
誰宛、などというものはありません。
誰宛、などというものはありません。
神の贈り物が神の子へ、神の子はまたさらにそれを延長させてゆく——。
分離はないのだから、すべてがすべてを一緒に受け取っている。
喜びと感謝以外に、持てる思いはあるでしょうか。
喜びと感謝以外に、持てる思いはあるでしょうか。
Blessings,
愛
愛
2019.3.11
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック12 創造の海へ/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック12 創造の海へ/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)