『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson296:今日は、ホーリースピリットがわたしを通して語ります。
ホーリースピリットがわたしを通して語る。そうしていただけるようゆだねる。
それが24時間365日続いたら、どんなにいいだろうかと思いました。
わたしの個人の人生というものは、もうすでに終わったと感じています。
それは一昨年から去年にかけて、確かさが強まってきています。
そうならば、もう、どの瞬間もホーリースピリットが見るだけ、語るだけでよく、もはや「わたしの目線」、「わたしの考え」というものは、一切要らないはずです。
要らない。
そう思うのですが、24時間のうち、すべてがホーリースピリットに捧げられていたかと言えば、これまでの毎日を振り返ってみなくとも、捧げられていなかったということは明らかです。
わたしは今日、静かに祈りに入り、そのなかに留まっていましたが、その時、
ホーリースピリットに語らせない時間があるというのは、神にとって代わりたいというエゴの思いの表れだと感じました。autonomyの表れだと。
24時間を、すべてをホーリースピリットに捧げない思いを観察してみるならば、例えば、「わたしはホーリースピリットのように清らかではない」だとか、「全部、ホーリースピリットに語らせるのだとしたら、わたしはどこにいることになっていて、どうなるのだろう」などといった考えが見えてきます。
やはり、アイデンティティの問題なのです。
自我と同一化しているのでなければ、「わたし」とは神の子なのだと真に受け入れているならば、先のような考えは出てくるはずがありません。
24時間365日、この肉体が横たえられるまで、いいえ、その先もずっと、神の思いでない思いを抱く必要はなく、神の言葉以外の言葉――無論、比喩だけれども――以外のものを放つ必要はまったくないのです。
イエスがそうであったように、わたしも、聖霊の顕現でありたいと願います。
何もかもをホーリースピリットに捧げ、イエスにゆだね、神の代行者(司牧者)として生きること。それだけが願いです。
神以外のゴールはないのだから。
ホーリースピリットに語ってもらっているときと、そうでないときというのが、非常に明確にわかりました。
勘違いしたくないのは、ホーリースピリットはもちろんジャッジしないのだけれども、おもねるということもないということ。
愛に満ちているということと、嫌われないように気を遣うということ、取り入ることとは違うのです。
ホーリースピリットは、言葉にならない言葉を持っていると感じます。
心の言葉です。音声のない、愛の言葉も、ホーリースピリットは使うのです。
そのあたたかいこと。
心の言葉です。音声のない、愛の言葉も、ホーリースピリットは使うのです。
そのあたたかいこと。
24時間365日、この先ずっと、ホーリースピリットの言葉のみを口にすることができますように。
わたしは神の子なのだという真実を、深く受け止めて、喜びのなかで捧げることができますように。
わたしの決断は、ほんものです。
Blessings,
愛
愛
2019.2.20
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック11 蘇生する自己/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック11 蘇生する自己/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)