『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
初めて読まれる方はこちら

 

Lesson285:今日、わたしの聖性は明るくはっきりと輝きます。
  
ほんとうに神聖性を、清らかさ、輝きを見たい、心の平安を感じ、保ち続けたいと思うなら、確かにその喜びを経験できるのだと感じます。
 
今日のレッスンには、苦痛と喜びに触れられているので、テキスト第7章を振り返ってみます。
 
あなたは苦痛とは何かを認識していないのと同様に、喜びとは何かを知らず、実は、その二つを混同しがちである。聖霊の主な機能は、それらの見分け方をあなたに教えることである。あなたにとって喜ばしいことは自我にとっては苦痛であり、自分が何であるかについて混乱している間は、あなたは喜びと苦痛を混同する。この混同が、犠牲という考え全体の原因である。聖霊に従いなさい。そうすれば、あなたは自我を手放すことになる。しかし、あなたは何も犠牲にしない。それどころか、あなたは一切を得ることになる。あなたがこれを信じていたなら、葛藤はないはずである。

(『奇跡講座 テキスト編』T-7.Ⅹ.3:4/中央アート出版社)
 
 
ゆるす(自我のゆるしではなく、聖霊が導くゆるし)こと、神の平安を感じること、静かにしていること、兄弟姉妹とひとつであること、神とひとつであることを感じることや、祈りのなかにいること、ホーリースピリットやイエスに自らを捧げること(使ってもらうこと)は、エゴ(自我)にとっては耐え難いことであり、たとえば自分が決めたゴールを達成することや、欲しいものを手に入れること、思い通りの人生を歩むこと、そうして自己重要感を抱けること(偽物の存在価値を実感すること)が喜びとなっているけれども、そんなものは喜びではないのでした。
 
ワークブックのレッスン20に、
 
あなたの心はまったく訓練されていないため、喜びと悲しみ、快感と苦痛、愛と恐れの区別ができない

(『奇跡講座 ワークブック編』/中央アート出版社)
 
と記されていました。
 
 
 
 
苦痛とは、神の子が自分で何であるかについて誤解していることを証言するものにほかならない。

あなたに苦痛を引き起こすのは、あなたの想念だけである。心の外にある何ごとも、あなたを痛めつけたり傷つけたりはできない。

今日は、あなたがすべての救済の力を内包するレッスンを理解する日である。それは、苦痛は幻想であり喜びが実相であるという学びである。苦痛は眠りにすぎず、喜びは目覚めである。苦痛は欺瞞であり、喜びだけが真理である。

(『奇跡講座 ワークブック編』レッスン190/中央アート出版社)
 
 
何か苦痛を感じるとしたら、それは「わたし=この身体」という考えが前提となって生まれる感情であり、神の子が苦痛を経験するはずがないということを思い出したいものです。
 
神の子は絶えず、神の喜びのなかにいるのでした。愛、喜び、感謝。そういった、ひとつのもの、神の思いのなかにいるのでした。神とひとつである神の子が、愛の対極となるようなものを――存在し得ないものを――経験するはずがありません。
 
この夢の世界で何をしようとも、何もせずとも、いつも経験することができるのは、真に感じられるものは、神の愛、神の喜び、「God Is」そのもの。いつも喜びにあふれていられるのでした。
 
真実だけを受け入れて、この、ほんとうの喜びだけを感じていたいです。
 
 
Blessings,
 
2019.2.9
 
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック11 蘇生する自己/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 
 
(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
その他のレッスン記録についてはこちら
 
 
時折配信しています◎お気軽にご登録ください