『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson278:わたしが束縛されているとしたら、わたしの父は自由ではありません。
 
今日のレッスンの冒頭にこうあります。
 
生命あると思えるものは一切、死んでしまうかに見える世界で、自分は身体の中に閉じ込められた囚人だとわたしが受け入れるなら、わたしの父もわたしと共に囚われの身だということになります。

 
「わたし=この身体」だとみなすなら、それは自分を囚人だとみなすことであり、父である神を否定することになります。愛でないものがあると主張するなら、神の実在性を否定していることになる、というのと同じことです。
 
 
思い出したのはレッスン72です。
 
自我の根本的な願望は、神に取ってかわることである。実のところ、自我とは、この願望が物理的な形になったものである。この願望があるからこそ、心が肉体で包囲されているかに見えており、それによって、心は分離して孤独なものとなり、心を幽閉するために作り出された肉体を通してしか、ほかの心に到達できないものになっているからである。

(『奇跡講座 ワークブック編』レッスン72/中央アート出版社)
 
 
 
神がご自身の子供たちをまったく罪のない者として知っているのなら、彼らを有罪と知覚することは瀆神である。神がご自身の子供たちをまったく苦痛とは無縁の者として知っているのなら、どこにおいても苦しみを知覚することは瀆神である。神がご自身の子供たちを完全に喜び溢れる者として知っているのなら、憂うつを感じることは瀆神である。これらすべての幻想と、その他数多くの瀆神がとる形態は、被造物をありのままに受け入れるのを拒否することに他ならない。神がわが子を完全無欠に創造したのなら、神の子の実相について学ぶためには、彼をそのように見ることを学ばなければならない。そして、一なる子の一部であるあなたは、自らの実相について学ぶためには、自分自身をそのように見なければならない。

(『奇跡講座 テキスト編』第11章/中央アート出版社)
 
 
 
自分を誰だと思い誤っているのか、人々を何として見ているのか。
肉体だとみなすなら、有罪宣告をしたことになる、というのはテキストでもワークブックでも学びました。
 
けっして自分自身のことも、兄弟姉妹たちのことも、制限のある存在、囚人だとはみなすことがありませんように。
神の子であるということを、神の愛を、そのまま受け取ることができますように。
 
 
Blessings,
 
2019.2.2
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック11 蘇生する自己/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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