『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson250:自分自身を限りある存在とみなさないように助けてください。
 
祈りの前の言葉も含め、とても大切なレッスン(もちろん、すべて大切なのですが)だと感じました。
 
誰かのことを心配するとしたら、それは相手を攻撃していることなのだと学んだとき、わたしはちょっと衝撃を受けました。心配するのは、人として当然のこと、思いやる気持ちから来るものだと思っていたからです。親が子を心配する、というのは、ごく普通にあることだと思うのですが、それは我が子を攻撃していることなのです。
 
脆さを、弱さを見るというのは、神の子の強さ、限りのなさを否定するということ。
 
 
兄弟を肉体として見なすとき、あなたは彼に有罪宣告をしている。なぜなら、あなたは自分自身に有罪宣告をしたからである。

(『奇跡講座 テキスト編』第8章/中央アート出版社)
 
 
キリストの心眼(ヴィジョン)には一つの法則がある。それは、肉体を見てもそれを神が創造した神の子と見間違うことはない。それが見るのは、肉体を超えた光であり、触れることのできる有形のものを超えた一つの想念である。…(中略)…今日あなたが与えるものとは、誰のことも肉体としては見ない、というこのことである。誰のことも神の子と認めて挨拶し、聖性の中で彼は自分とひとつであると認めなさい。…(中略)…自分の兄弟の中に見るものは自分自身にほかならないということを憶えてさえいれば、このレッスンを習得するのは難しくない。

(『奇跡講座 ワークブック編』レッスン158/中央アート出版社)
 
 
わたし自身が、限りない存在だという真実を思いだすうえで、ほんとうに大切なことは、すべてのひとの限りのなさを見るということ。誰か一人でも、よそ者にするなら、けっしてわたし自身が限りのない存在だとは理解できない。
 
わたしという存在が、この身体のことではなく、永遠のスピリットであり、神の子であり、完全無欠なのだと心の底から思えていないということは、兄弟姉妹を、誰かを、限りのある存在だと見ているからです。
 
暗いニュース、惨い事件、その犯人。その被害者。病気を患っている人。危篤状態の人。
何を見ても、誰に対しても、全く同じように、神の子の栄光を見させていただくことを、この大切な教えを思いだすたびに続けています。
 
確かに、相手は肉体ではないのだとということが感じられる、清らかなスピリットなのだとわかる、素晴らしい贈り物をホーリースピリットは届けてくれます。
 
けっしてこれを、怠ることなく続けていこうと思います。
 
Blessings,
 
2019.1.5
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック10 特別性の終焉/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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