奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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昨日に続く内容です(マーカー部分はわたしが引いた箇所です)。
与えることは、あなたが受け取っていることを認める方法です。それが、あなたが持っているものはあなたのものだという証なのです。
あなたは、癒しを差し出すときに、自分が癒されていることを理解します。あなたは、ゆるすときに自分の内でゆるしが成就されたと受け入れます。あなたは、自分の兄弟を自分自身として認めるので、自分を完全なものと知覚します。あなたが与えられない奇跡はひとつもありません。すべてはあなたに与えられているのですから。奇跡が置かれている心の貯蔵庫を開き、それをただ与えることで、今それらを受け入れます。
与えるということをとおして、初めて、自分は確かに持っていた、与えられていた贈り物が確かにあったのだと学べる。だから、足りないところを見て、それを埋めて欲しくて、誰かに要求することは、本来の学ぶ姿勢からは程遠いことをしているのだと言えると思います。
自分は足りない、自分はダメだと見ること(つまり自分を肉体だと見なすこと)は、「すべてはわたしに与えられている」ということを学べなくする、思いだせなくする考えなのだとわかります。
外側に要求するのではなく、内側を見る。貯蔵庫を。
自分でやろうとすると、できませんが、ホーリースピリットにゆだねるなら、確かにそれを思いだせます。
ホーリースピリットをとおして、自ら差し出すときに、自分に与えられていた贈り物が、はっきりとわかるようになる。
与えることと受け取ることは同じ。
あなたは、癒しを差し出すときに、自分が癒されていることを理解します。
とありますが、
テキストでも似たことが書かれている箇所があります。
自我は常に、分割し、分離しようとする。聖霊は常に、統一し、癒そうとする。あなたは癒すときに癒される。なぜなら、聖霊は癒しにおいて、難しさの序列を見ることはないからである。癒しは、一なる子をひとつのものとして知覚する唯一の方法であるから、相違への信念を取り消す方法である。
神は、あなたが所有していると同時にそれがあたな自身であるような贈り物を、あなたに与えた。あなたはそれを使わないとき、自分がそれを持っていることを忘れてしまう。それを思い出さないことによって、あなたは自分が何であるかを知ることがない。
(『奇跡講座 テキスト編』第7章/中央アート出版社)
癒しを差し出すというのは、マッサージをしてあげることだとか、なんちゃらセラピーを相手におこなうことだとかいったことを指しているのではなくて、昨日のレッスンで学んだとおり、相手を神の子として見ること、その神聖さを受け取らせていただくこと、ひとつであることを認めること、それを心で経験させていただくことなのでした。
わたしが持っているものというのは、有効活用できる道具やら、他者より秀でた能力などといったものではなく(それは幻想の世界で、自分を肉体だと見なしているなかで、得ていると勘違いしているもの)、「わたし自身であるもの」だと述べられています。
神の子の完全無欠性は、わたしが持っているものであり、わたし自身のこと。
ほんとうの愛は、わたしが持っているものであり、わたし自身のこと。
他者だと見えるその人に、神の子の完璧さ、清らかさ、美しさを見ることによって、わたし自身、神の子なのだと、完璧なのだという真実を思いだすことができる――。
ただの一人も、例外となる人はいない。
わたしにとって、それが、とても嬉しい真実です。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック56 完全な治癒/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)