奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
初めて読まれる方はこちら
わたしの心は、神と共に思うことだけを保ちます。
▶Lesson139
わたしは、自分自身のために、和解を受け入れます。
▶Lesson140
救いだけが治す、といえます。
レッスン139の「和解」というのは、アトーメント(贖罪/あがない)のことでした。
今日はテキスト(『奇跡講座 テキスト編」中央アート出版社)で、アトーメント(贖罪)について述べられているところを見てみます。
第2章では、
奇跡が手段であり、贖罪が原理であり、癒しが結果である。
奇跡を行う者にとっての唯一の責任は、自分自身のために贖罪を受け入れることだけである。
と書かれているところがあります。
分離を信じるという間違いを、ホーリースピリットによって取り消してもらう。すでに取り消されたことを、ほんとうに深く心で経験し、知覚の修正を経験すること。毎日わたしのすることは、それだけです。
レッスン139では、使命について述べられてもいました。今日は中央アート出版社のワークブック編から引用してみます。
私たちにはここで果たすべき使命がある。私たちは、かつて自分たちが信じていた狂気をさらに強化するためにここにきたわけではない。私たちが受け入れたゴールを忘れないようにしよう。私たちはただ自分たちの幸せを得るためだけにきたのではない。私たちが自分の本性として受け入れるものが、私たちとともにすべての人々の本性をも宣言する。兄弟を見捨ててはならない。彼らを見捨てれば、自分を見捨てることになる。彼らに愛のまなざしを向けなさい。それによって、彼らは自分たちがあなたの一部であり、あなたが彼らの一部であると知ることができるようになる。
とても素敵な箇所です。この後に、
贖罪は、このことを教えると同時に、神の子の一体性は、彼が自分の本性を知らないと信じることによって損なわれはしないと実証する。
と述べられています。
使命については、テキスト第4章では
あなたの使命はきわめて単純なものである。あなたには、自分が自我ではないということを実証するために生きることが求められる。
と書かれています。同じことです。
わたしとは、わたしたちとは、自我ではなく、神に創造されたままの永遠のスピリット、ただひとりの神の子なのです。分離など、どこにもありません。一度も、起きていません。
贖罪を完全に自覚するということは、分離は一度も起こらなかったと認識することに他ならない。自我はこれに打ち克つことはできない。なぜなら、それは、自我は一度も生じたことがないというあからさまな声明だからである。
(『奇跡講座 テキスト編」第6章/中央アート出版社)
レッスン140「救いだけが治す、といえます」の復習で思いだしたのは、
▶Lesson70
わたしの救いはわたしから生じます。
▶Lesson71
神の救いの計画だけがうまくいきます。
このレッスンでした。
レッスン70の教えは、自分の外側には救いはないということ、外側のどんなものも、平安をもたらすことはないということを意味しています。
救いだけが、真に治すのだと言える、その救いは、もちろん、自分で勝手に信じているこの世界の何かではなく、わたしの内にある。神がすでに与えてくださったもの。
それを忘れずに、ただ受け入れたいと思いました。
今日のエクササイズでは、アトーメントも救いも、この世界ではないところで経験される、わたしの内側で果たされることだと感じました。
この頃、すべてはわたしの内に在るということを感じます。
文字通り「すべて」が、です。
Aさんも、Bさんも、木々も小鳥も、あのビルも。それはそこに在るのではなく、真に在るものはみな、わたしの内に在るという実感です。
外に何かが在るように見えるというのは、それは、トリックなのです。
「外」というもの自体が、ありません。
「わたしの肉体」というものも、ありません。
言葉で説明するのは難しいのですが、すべてはわたしであり、わたしの外というものはなく、ひとつで、形というもの、枠というものはありません。
それは、とても幸せなことです。
喜びそのものです。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック56 完全な治癒/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)