奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson140:救いだけが治す、といえます。

 

印象に残ったのは、今日のレッスン第4段落目です。

和解は確信をもって癒すので、すべての病を治します。病とは夢以外の何ものでもあり得ないと理解している心は、その夢の中に現れるものにだまされることはありません。病は、罪悪感のないところには生じ得ないのです。というのも、それは罪悪感の別のかたちにすぎないのですから。和解は、病人を癒すのではありません。それでは治すことにはなりませんから。それは、病を可能にさせる罪悪感を取り除きます。そして、それこそが本当に治すことです。今や病は去ったし、戻ってこられるところはありません。

(マーカー部分はわたしが引いた箇所です)

 

病、癒しについては以前にも出てきました。

Lesson136
病とは、真実に対する防御です。

Lesson137
わたしが癒されるとき、わたしひとりが癒されるのではありません。

 

病というのは、罪悪感の別のかたち。
病とは分離の思い。

肉体の病を治そうとするのではなく、罪悪感を取り除くこと。それが「治す」ということ――。

これは、忘れてはいけないことだなと思います。

7段落目では、こう述べられています。

今日は、病に苦しむことなどできないものを治そうとなどしないようにしましょう。癒しは、それがあるところだけに探し求められ、病んでいるものに適用されるべきで、そうすれば病んでいるものは治されます。この世界が提供する治療法は何であれ、変化を生じさせることができるものはありません幻想を真実にもたらす心は本当に変わります。これ以外に変わるものなどありません。

 

以前も取り上げましたが、テキスト(「奇跡講座 テキスト編』第8章/中央アート出版社)にもはっきりと書かれています。

あなたが自分自身を限定するとき、私たちはひとつの心に属するものではなくなる。そして、それが病気に他ならない。しかし、病気を患うのは、肉体ではなく心である。あらゆる形態の病気は、心が分裂していて、統一された目的を受け入れていないことのしるしである

 

それに、この部分も思い出しました。

自我があなたを病気へと誘うとき、聖霊に肉体を癒してくれるように求めてはならない。なぜなら、それは単に、肉体は癒しの適切な対象だという自我の信念を受け入れることだからである。それよりもむしろ、肉体についての正しい知覚を教えてくれるようにと、聖霊に求めなさい。知覚のみが歪曲され得るものだからである。知覚だけが間違うことが可能なので、知覚だけが病気になり得る。

ここを読んだとき、衝撃を受けました。ホーリースピリットに、からだを癒してくれるように頼んではいけないということを知って、多少ショックを受けた記憶があります。

ただ、念のため記しておくと、薬を飲んではいけない、病院に行ってはいけないと言っているわけではなく、このことについてはテキストの第2章Ⅳ節4段落目で触れられています。

 

あるとき、いつもの症状に対して薬を使おうとしたら、イエスが、それをしないでみなさいとわたしに言ったことがあります。わたしが薬を神さまにしてしまっていたからだと思います。

いや、でも怖いんですけど、と思いながらも、そんなことを言われたのは初めてだったので(それまでは薬を使っても何も言われませんでした)、言われた通り、薬を使わずに、全部イエスに任せることにしました。

イエスは確か、わたしに、わたしが神の子そのものであることを受け入れるようにと、それを感じてみるようにと言ってくれたので(もう記憶が曖昧です)、ただ何もせず、じっとして、それを受け入れてみようと、リラックスしてみました。

最初は、まだ、痛みがありました。でもその痛みに気持ちを向けずに、ただイエスを信頼して、しずかにしていました。わたしは神が創造されたままのわたしですと、受け入れて。

すると、痛みが引いてゆき、心地よくなり、やわからなゴールドの光がわたしを包んでくれているような感覚になりました。痛みを感じる箇所でさえ、何もかもに、神という愛が、あまねくゆきわたっているのです。
すーっと意識が遠のいていったり、たまにズキッと痛みが走ったり、しばらくはそのような感じでしたが、やがてただ穏やかな状態になりました。

わたしがどんなに痛みを見ようとしても(罪悪感を、自己憎悪の念を抱き続けようとしても)、創造主はそんなことはご覧にならず、しずかにずっと愛してくださっている、そのことが感じられたのです。愛しか、ないのです。

真実に幻想をもたらすことはできないけれども、幻想を真実にもってゆくなら、幻想は文字通り幻想なのだから、愛に溶けて消えてゆく・・そのような感じでしょうか。とても印象的な体験でした。

 

ちょうど今日のレッスン10段落目にこうあります。

だからわたしたちは、お守り、魔よけ、薬、祈りの言葉を儀式的に繰り返すこと、ちょっとした魔術などといったものは、脇に置くことにします。心を静めて、癒しの声を聴くことにします。その声は、すべての病をひとつのものとして治し、神の子に正気を取り戻してくれます。この声以外、治すことはできません。今日わたしたちは、真実を話すただひとつの声を聞きます。そこですべての幻想は終わり、平和が、永遠なる穏やかな神の住み処に戻ってきます。

 

今日のワークでは、言葉にするなら、「ありがとう」という感謝の感覚を受け取りました。自分のなかにある根深い、分離に対する罪悪感が浮き上がってくるようなことがありましたが、膿を出すプロセスなのだろうと感じています。

わたしを責めているのは、わたしを攻撃しているのは、わたし以外にはいないのです。
わたしは神が創造されたままのわたしです。
すべてのひとたちと、わたしはひとつです。ただひとりの神の子です。

それを、ほんとうに、深く、深く、、受け入れたいです。
まったく罪のない、愛そのものの存在として。

 

Blessings,
 
2018.9.17
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック56 完全な治癒/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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