奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson139:わたしは、自分自身のために、和解を受け入れます。

 

このレッスンで出てくる「和解」というのは、アトーンメントのことで、中央アート出版から出ているワークブック編では、「贖罪」と訳されています。

ケネス・ワプニックさんの著書『奇跡の原理』(中央アート出版社)では、

「贖罪」という言葉は、概して、「訂正」の同義語と言えます。分離を信じるという間違いを取り消すために聖霊と共にもたらされた計画全体表わす言葉として、このコースが使っている用語です。

 

「贖罪」という言葉は、このコースにおいては、「自分は分離している」という悪夢から神の子を目覚めさせる計画全般を表す言葉なのです。この言葉はさらに、狭い意味では、私たちの一人ひとりが完了させなければならない個人的な贖罪の計画について説明するときにも使われます。「テキスト」の中(T-2.Ⅴ.5:1)で、私たちの唯一の責任は、自分自身に贖罪を受け入れることだけだと述べられています。これはどういう意味かというと、「分離が実在している」ということを否定するものを受け入れなければならないということです。そしてまた、私たちが直面する特定の人間関係や状況の中に有罪性は実在していないということも受け入れなければならないといことです。そう考えれば、贖罪は、個人のレベルにおいても意味があることになり、それが、私たち一人ひとりにとっての独自の道ということになります。

と述べられています(マーカー部分はわたしが引いた箇所です)。

 

分離していない、分離は実在していないということを受け入れるというのは、つまり、今日のレッスンで述べられているとおり、神が創造されたままのわたしたちを受け入れるということ。

興味深いと思ったのは、

どんな葛藤も、「わたしとは何だろう?」というただひとつの簡単な質問を必ず伴っている

というところです。

すべてのことは、アイデンティティの問題だと思っていましたが、それと同じことかなと感じました。自分をわかっていないからこそ、あらゆる問題を抱えてしまう。もし自分を、本当に心から「神の子」だと受け入れているなら、何を悩む必要があるでしょうか。何に困る必要があるでしょうか。

 

生きているのに自分自身を知らないことは、自分はじつは死んでいると信じていることです。生きるとは、自分自身であるということにほかならないのではないでしょうか。

その人は、自分は自分自身ではないと述べているだけです。それで、彼は何か他のものであり、その他のものとはいったい何がと問う人になっています。けれどもその人は、その答えを知らないかぎりけっして生命あるものにはなれません。その人がまるで答えを知らないかのように尋ねるとしたら、それは、本来の自分ではいたくないということを示しているにすぎません。

 

自分のことを知らないのだと言うことは、本来の自分ではいたくない、神の子だとは認めないと言っているのと同じこと。

 

自分たちの幸せだけではなく、それ以上のものを得るために、わたしたちは来たのです。自分の本来の姿として受け入れたものは、誰もがまたそのとおりであることの宣言でもあります。あなたの兄弟たちを見捨てないようにしなさい。さもないと、あなたはあなた自身を見捨てることになります。兄弟たちを愛を込めて見つめなさい。そうすれば、その人たちは、自分たちがあなたの一部であり、あなたがその人たちの一部であることに気づくでしょう。

この9段落目は、とても大切な箇所だと思います。アトーンメントとは、まさにこのことだと10段落目で述べられています。

この箇所、今日のレッスンからは、テキスト(『奇跡講座 テキスト編』第8章/中央アート出版社)で言えば、たとえばこのような箇所が共通していると思います。
(とても長い箇所なので、ひとつの段落なのですが、分けて引用します)

あなたがどちらの教師を選ぶかにかかわりなく、カリキュラムのゴールは、「汝自身を知れ」である。それは外に求めるべきものは何もない。誰もが自分自身を探しており、自分が失ったと思い込んでいる力と栄光を探している。誰かと共に居るときはいつでも、あなたはそれらを見つける新たな機会を手にしている。あなたの力と栄光は彼の中にある。それらはあなたのものだからである。

自我はどこを探せばいいのかわからないので、それらをあなただけの中に見つけようとする。聖霊は、あなたが自分だけを見ているなら自分自身を見いだせないと、あなたに教える。なぜなら、それは本来のあなたではないからである。あなたは兄弟と共に居るときはいつでも、自分が何であるかを教えているので、自分が何であるかを学んでいる。あなたがどちらの教師に従っているかによって、兄弟は苦痛か喜びかのどちらかをもって応答する。

 

ほんとうの自己は、出逢う人々、すべての人の、兄弟姉妹たちのなかに見ることができる。すべての人たちを、けっして「見知らぬ人」にしないこと、そして、心から祝福し、讃え、全き清らかさを、美しい輝きを見させていただくこと。

わたしとは、身体ではないし、自我ではないのでした。
わたしがそうでないこと、わたしは神に創造されたままのわたしだということを思い出す鍵は、兄弟姉妹のなかにあるのでした。彼らの聖性が、わたしの聖性なのでした。

今日のレッスンは、ほんとうに、全文が非常に重要だと感じます。

わたしのただひとつの役割を、大事な使命を、果たしたいと思います。

 

Blessings,
 
2018.9.16
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック56 完全な治癒/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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