奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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今日のレッスンも、なかなか強烈です。
あなたは、人生に多くのことを求めすぎているどころか、逆にほとんど何も求めてはいません。身体に関すること、物品の購入、この世で値打ちのある地位などに自分の心をひきつけられるままにしているとき、あなたは悲しみを求めているのであって、幸せを求めているのではありません。…(中略)…この世には、満足できるものなどひとつもないのです。
あなたがおこなう選択のひとつひとつは、あなたにすべてをもたらすか何ももたらさないかのどちらかです。ですから、もしあなたがすべてと無とを識別できる基準を学んだら、あなたはよりよい選択をすることになります。
「すべて」か「無」か。わたしの選択はつねにこのどちらか。
そして、価値があるものというのは、永遠に続くものだということを伝えてくれています。
この世界で永続するものは何ひとつないのだから(これは仏陀も言っていること)、この世界には価値あるものなどないということ。
すべてのものは、価値があるかないか、求めるに値するかしないか、完全に望ましいものか、あるいはそれを得るためのほんの少しの努力にも値しないか、そのどちらかです。
普段のわたしの選択を思い返してみると、無を選んでいない瞬間などない、とは決して言えません。
テキスト第10章(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)に、このようなことが書かれています。
永遠を思い出したいのなら、あなたは永遠なるものだけを見つめなければならない。一時的なものに気を取られることを自分に容認するなら、あなたは時間の中で生きているのである。いつものごとく、あなたの選択はあなたが何を価値ありと見なすかで決まる。時間と永遠の両方が実在することはあり得ない。
一時的なものに気を取られている・・そんなつもりはなくても、自分が何に価値を置いているのか振り返ってみると、あまりにもこの世界に自分を縛り付けていることがわかります。
たとえば、贅肉がついて太っているよりは、スリムでいたほうがいいだとか、美人はいいよねという考え、あるいは、おしゃれなほうがいい、礼儀正しいほうがいい、頭はもちろん良いほうがいい・・といった考えがあり、これらはみんなこの世界に価値を見ている証拠です。
どうだっていいことだと思っている反面、でもこの歳でこの贅肉はキツイ・・なんて、少し思ったりもするのです。笑
やっぱり、たどっていくと、「わたし=この身体」という、間違った自己認識に行き着きます。
もし本当に「わたし=永遠のスピリット=神の子」だと受け入れているなら、こんなくだらないことは一切考えません。
今日のエクササイズをすると、最近よく感じる「一体性」を、また経験しました。
すべてのいのち、兄弟姉妹とつながっている感覚です。
そして、わたしの身体の内にも外にも、ホーリースピリットの光が満ちている感じがしました。
この手は、ただの手ではなく、ホーリースピリットが使ってくださる手。そんなふうに感じられるのです。
血が通っているというより、光が通っている、という感覚。
このままがいい、ずっと、まるごとわたしをホーリースピリットに捧げていたい。
そのように思うのに、どうにも、まだ、葛藤があるようです。
自分を否定せずに、ホーリースピリットの導きに従いたいと思います。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック5 神の教師/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)