奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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今日復習するレッスンはこの2つです。
▶Lesson93
光と喜びと平和は、わたしの内にとどまっています。
▶Lesson94
わたしは、神が創造されたままのわたしです。
今日一日、とても心が平和でした。なんだか今日は、ほとんど何も考えずに過ごしました。あえて、ものを思わないようにしようとしたわけではなく、ごく自然と・・そういう状態になっていました。
30分毎にエクササイズをするわけですが、その30分が短いと感じられたり、長く感じられたり、両方ありました。
何かをしていても、なるべく思いだしたい、保ち続けていたいと感じる1日で、そのように過ごしていると、思考するということがあまりないような気がしました。
思考しないということは、かつてのわたしなら、それは・・恐ろしいことだったように思います。意識したことはありませんが。
「思考しない=脳の死=終焉=わたしの終わり」、そんなふうでしょうか。
むろん、今日のわたしの脳内が停止していたわけではありませんが、思いあぐねるということがなかったのです。
それは恐怖を感じることではなく、むしろ、安心することでした。
かつては――思考することが、恐怖に対抗できる方法の1つだと思っていたかもしれません。事実、気になっていることに対して何度も何度も考えるということを、何かにつけやってきました。たとえば、「今後のために」という理由のもと、何か先回りして手を打っておきたい、そのための方法を早めに考えておけば安心できる、といったふうに。
それで真に安心できたことなど、ただの一度もありません。何もしないよりはマシだという程度で、結局のところ、安全のために「考える」というのは、少しも安全をもたらしてはくれないのでした。
光と喜びと平和が、わたしの内にとどまっているなら、わたしが神が創造されたままのわたしであるのなら、何かについて先回りして考える必要があるでしょうか。あるいは、もう過ぎたことを頭の中で反芻しては、あれはああだった、こうだったと、出来事や他者をジャッジする必要があるでしょうか。
ほんとうのわたしとは、「現在」にのみ存在しているのです。
過去、あるいは未来に思いを投げても、どこへもいきません。ほんとうの思いは、どこかへ投げるものではなく、ずっと「いま、ここ」に留まっているものなのだと感じます。
ほんとうの思いは、移り変わったり、あちこち出かけていったりはしないのです。
神とわたしはひとつなのだから。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック5 神の教師/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)