奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson105:わたしは、本当にわたしに属するものだけを求めます。
 

今日のレッスン内容を読んで、「与えることと受け取ることは同じ」ということを思いだしました。

第1段落目に

神の平和と喜びはあなたのものです。今日は、それらは自分たちのものだと知り、受け入れることにします。そして、こうした贈り物は、わたしたちが受け取るにつれ増えていくことを理解しようとします。それらは、この世界が与えられる贈り物とは違います。そこでは与える者は贈り物をあげると失い、受け取る者は与える人が失うことにより豊かになります。こんなものは贈り物ではなく、罪悪感でつくられた取引にすぎません。本当に与えられた贈り物は損失を伴うことなどありません。一方が得られるのはもう一方が失うからではありません。これは、限界や不十分な点があることを意味しています。

とあり、このあと第2段落目でさらに具体的に述べられています。

 

テキストの最初、第1章第1節、「奇跡の原理」の9段落目と16段落目で学ぶのが、「与えることと受け取ることは同じ」ということでしたね。

9.奇跡は交換の一種である。すべての愛の表現はその真の意味において常に奇跡的であるが、それらと同様に、この交換は物理的法則を逆転させる。奇跡は、与える者と受ける者の両方に、より多くの愛をもたらす。

16…奇跡は、与えることは受けることと同じく祝福されていることを実例によって教えるための仕組みである。奇跡は与える者の強さを増すことと、受ける者に強さを補給することを、同時に行う。

(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)

 

この「奇跡の原理」については、ケネス・ワプニックさんの本、『奇跡の原理―奇跡講座「50の奇跡の原理」解説―』(中央アート出版社)で詳しく述べられているのでお勧めです。

 

たとえば原理9の解説では、

「与えること」についての自我の理解は、「私があなたに何かを与えると、私はもはやそれを所有していないことになる」ということです。また、私があなたに何かを与えれば、あなたはそれをもっと多く持ち、私はそれをもっと少なく持つことになります。自我にとっては、与えることというのは常に定量的なものです。

このように書かれているところがあります。

わかりやすい説明だと思います。

 

また、テキストには、たとえばこんなふうに述べられているところがあります(マーカー部分はわたしが引いた箇所です)。

霊は「所有すること」と「在ること」との相違を知らないということを思い出しなさい。高次の心は、霊が従う法則に沿って考えるので、神の法則だけを尊ぶ。霊にとっては、得るということは無意味であり、与えることがすべてである。霊は一切を有しているので、与えることによって一切を保ち、それによって父なる神が創造した通りに創造する。この種の思考は、物体を所有することに関してはまったく当てはまらないが、想念との関連においてならば、低次の心にもよく理解できる。

(ちなみに「霊」というのは幽霊だとか霊魂のことではなく、「スピリット」のことです)

物理的な所有物を分かち合うなら、あなたは確かにその所有権を分割することになる。けれども、何らかの考えを分かち合うなら、それを減らすことにはならない。その全部を与えてしまっても、依然としてその全部があなたのものである

さらに、もしあなたがそれを与えた相手が、それを自分のものとして受け入れるなら、彼はあなたの心の中でそれを強化することになり、それによってそれを増大させる。もしあなたがこの世界は想念からなる世界だという概念を受け入れることができるなら、与えることと失うこととの間に自我が設けている誤った関連性を信じる信念全体が消え去る。

と続き(長いので、3つに分けました)、

私たちは、再び目覚めるためのプロセスを、いくつかの簡明な概念で始めることにしよう。

  想念は与えられることで増大する。
  それらは信じる者が多ければ多いほど強化される。
  あらゆるものは、何らかの考えである。
  それならば、与えることがどうして失うことに関連づけられるだろう。

と記されています(『奇跡講座 テキスト編』第5章/中央アート出版社)。

 

比較的わかりやすい箇所ではないかなと思います。
本当の意味での「与える」というのは、自我(エゴ)が考えるようなこととは全く異なっているのですよね。

今日のレッスンにも、

神の平和と喜びを受け入れなさい。そうすれば贈り物に対する別の見方を学ぶでしょう。神の贈り物は、与えられるときに減ることなどけっしてありません。与えれば増えるだけなのです。

とあります。

 

神の平和と喜びはわたしのものです」。

 

神の意志を完璧に果たすことこそが、十全に知られ得る唯一の喜びと平安である。

(T-8.Ⅲ.2:1)

あなたのための神の意志が完全な平安と喜びであるというのなら、それのみを経験しているのでない限り、あなたは神の意志を認めることを拒んでいるに違いない。神の意志は永遠に不変であるから、揺れ動くことはない。あなたが心安らかでないとき、その唯一の理由は、自分が神の中に居ると信じてはいないからである。

(T-8.Ⅳ.1:1-4)

いずれも『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社より引用させていただきました。

 

今日はテキストのあちこちを、ホーリースピリットの導きのもと、読む流れになりました。

というのも、今日のワークに取り組もうとしたときに、ある人のことで少し抵抗を感じてしまったからです。
そんなわたしに対する答えが、テキストをパッと開くたびに示されて(今日ここで引用していない箇所も含め、たくさんありました)、「はい、わかりました」と降参するよりほかなく、けれどもそのサレンダーが、とてもうれしいものに感じられました。

 

わたしの兄弟よ、平和と喜びを、わたしはあなたに捧げます
神の平和と喜びをわたしのものとしてもつことができますように

 

わたしの個人的な気持ちを差し出すのではなく、神の平和と喜びを捧げるのでした。
心の中でそれをしてみると、相手もわたしも区別のつかない光そのもので、ただしずかな喜びをわかち合っている、そんな感覚がありました。

そもそも、「わたしの個人的な思い」など、ないのでしたね。
そんなものは、持っているつもりになっているだけで、どこにもないのでした。

別の人に向けておこなっても感覚は同じで、言葉にすれば、ハーモニーという単語が当てはまるでしょうか、美しい音色が聞こえてきそうな、やさしい感覚、共鳴し合う感じ、喜びあふれる感覚と、やわらかな光――。

わたしと相手、という形、境界線がまるでないのです。

 

響き合って、喜び合って、讃え合っている。
その美しいこと。

 

受け取らせてくれて、ほんとうにありがとう。
いつも、ずっと、与えてくれていたのに、気づかなくてごめんなさい。
わかち合ってくれて、ほんとうにありがとう。

 

Blessings,
 
2018.8.13
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック4 聖なる関係②/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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