『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson93:光と喜びと平和は、わたしの内にとどまっています。
今日のレッスンの7段落目にこのようなことが書かれています。
救いに必要なのはたったひとつの思い――あなたは神が創造されたままのあなたであり、自らつくり出した存在ではない――を受け入れることです。たとえどんな悪いことをしたとあなたが思っていても、あなたは神が創造されたままのあなたです。たとえどんな思い違いをしたとしても、あなたについての真実は変わっていません。創造とは永遠であり、そこに選択の余地はありません。あなたに罪がないのは神に保証されています。
4巡目の今では、そうでもありませんが、初めてこのような内容に触れたときは、非常に受け入れがたいことだと感じたものです。自分を責めているほうが、よっぽどラクだと思っていました。
いまは、どうでしょうか。
ワークをしてみると、すでにゆるされていること、何についても自分を責めたり否定したりしなくてよいこと、そういった世界から抜け出したところにある、静けさや安心感を感じます。
ワークをしてみると、すでにゆるされていること、何についても自分を責めたり否定したりしなくてよいこと、そういった世界から抜け出したところにある、静けさや安心感を感じます。
ああ、ここにいていいんだ、という感覚。
これは、ここ最近のレッスンでも感じたことです。
これは、ここ最近のレッスンでも感じたことです。
不思議だったのは、今日起きて、このレッスン内容を読んでいるときに、
「ああ、自分に罪を見ていたいから、罪悪感を持ち続けていたいから、そんなふうに見ていたんだ」と、昨日少し書いた、例の人のことで気づきがあったことです。
その一瞬の、微かな気づきのあとは、もう違和感はなくなっていました。
その人がどうか、ということはまったく問題ではなくて、わたしがわたしに罪を見続けるために、その人を思いのなかで利用して、その人がわたしに罪を見ているかのような(言わばこれが投影ですね、)そんなドラマに仕立て上げていたのだと、ストンと腑に落ちたのです。
こういうからくりなんだということは、頭では認識していたけれども、心では・・受け止めきれていなかったのです。つまり、何もわかってなどいない。
知らず知らずのうちに、誰かを「いい道具」にして、自分のなかで渦巻く黒いもの、罪悪感、自己に対する憎悪、そういったものを保ち続けようとする、自我(エゴ)の企み。
投影というのは、けれども、攻撃のことでした。
これまでのレッスン、不平不満を持たないという教えとも繋がっていると感じます。
投影(攻撃)しなければ、わたしは確かに無辜なのだと、ほんとうに心から受け入れられるだろうとおもいます。
葛藤ナシ、例外ゼロ。
まだまだ道は遠いように感じられますが、だからと言って、誘惑に進んでのってしまうような生き方はしたくないものです。
まだまだ道は遠いように感じられますが、だからと言って、誘惑に進んでのってしまうような生き方はしたくないものです。
Blessings,
愛
愛
2018.8.1
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック4 聖なる関係②/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック4 聖なる関係②/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)