『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson86:復習2 レッスン71,72
 
 
レッスン71
神の救いの計画だけがうまくいきます。
 
レッスン72
不平不満を抱くことは、神の救いの計画に対する攻撃です。
 
 
レッスン71では、もうすでに果たされたことなのに、それを受け入れられないでいただけなんだと感じました。
外側にはけっして救いはないこと、それをほんとうに理解したい、受け止めたいとおもいます。
 
神の救いの計画は、「これから」うまくいくことではなく、「すでに」、「それだけが」果たされていること。

以前は、これを受け入れようとすることは、不安なこと――そんなことはないのに、なぜか、放り出されてしまうような、自分の計画は一切持たずにゆだねることは、かえって恐ろしいことのような気がしていたのです――でしたが、いまでは、とても安心することだと感じられます。
 
 
レッスン72は、いまになって、とてもわたしの心に響くレッスンの1つとなりました。
「不平不満を抱かない」というのは、「愛は不平不満を抱きません」(レッスン68)のときもそうでしたが、どこか道徳的なことを言われているように感じていました。このワークブックのレッスンに取り組むのは4回目ですが、この4回目になるまで、どこかでそんな感覚があったようにおもいます。むろん、コースは道徳ではないというのに。
 
時間の理解の仕方がおかしかったというか、今後は不平不満を持たないように心がけるべき(ある意味ではそういうことになりますが)、という考えがあって、これから先、努力することによって神の救いの計画が果たされるような、そんなイメージがありました。
 
でもそれは違っていて、わたしは「これから」神の子に「なる」わけではないのですよね。
わたしは永遠に神の子で、それが侵されたことはただの一度もないのです。
 
もし、たしかにわたしが神の子であるなら、愛そのものであるなら、、、神の子が不平不満を抱くはずがないのです。
抱きようがない。愛以外の思いを持つことは不可能です。
 
わたしは「これから」、努力して神の子に「なる」のではなく、ただシンプルに、いま神の子であるということを、ありのままを認めるだけでよかった、邪魔しなければよかったのです。
 
もしわたしが不平不満を抱くなら、それは、「わたし」を間違ってしまっているということ。
神の子の否定は、創造主の否定。神に抗っているということ。攻撃しているということ。
 
 
この世界のあらゆることが、どうなろうと、わたしの人生がどう転んでいこうと、外側には意味はなく、ただそれを、ひとつひとつをどう見るか、ホーリースピリットのまなざしで見ていくかどうか。それだけなのだとおもいます。
 
すでに果たされているからこそ、「神の救いの計画だけはうまくいく」。
もう、うまくいっている。
平安だけが、「いま、ここ」にある。
 
それを受け入れ、ほんとうのわたしだけを受け入れたいとおもいます。
すべてのひとの、聖性だけを。
 
 
Blessings,
 
2018.7.25
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック4 聖なる関係②/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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