『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson60:復習1 レッスン46~50
レッスン46
神こそが愛であり、神の愛の中で、わたしはゆるします。
神こそが愛であり、神の愛の中で、わたしはゆるします。
レッスン47
神こそが強さであり、その強さの中で、わたしは信頼します。
神こそが強さであり、その強さの中で、わたしは信頼します。
レッスン48
恐れるものなど、何ひとつありません。
恐れるものなど、何ひとつありません。
レッスン49
神の声は、一日中、わたしに話しかけています。
神の声は、一日中、わたしに話しかけています。
レッスン50
わたしは、神の愛によって支えられています。
わたしは、神の愛によって支えられています。
この頃、「恐れるものなど、何ひとつない」ということについて、心がさらに開いていっているのを感じます。
目を閉じてワークをしていると、本当にしずかで、清らかな湖のなかにいるような、すーっとした感覚、平和で、穏やかな感覚になります。ここにずっといればいいんだな、と感じられる場所。
ゆるしを選べるというのは、とても幸せなことだと感じます。
自分のものの見方を訂正してもらうことを、エゴは、「負けを認めること」として捉えるのでしょうし、正当性を主張したがるのでしょうけれども、そんなことをしているうちは、暗闇のなかで、つらい思いをするしかないのです、むろん、自分だけが。
以前、個人セッションをしていたときに、クライアントさんにもたらされたメッセージで、とても印象に残っている言葉があるのですが、それは――「喜んで負けなさい」というメッセージでした。
エゴにとっては「負ける」ことであっても、清らかなスピリットからしたら、それは、相手の心と握手すること、溶け合うこと――そもそも「ひとつ」だったのだと思いだすことなのです。
「喜んで負ける」。
それは、相手の輝きを心から讃えることだと感じるし、実際そうするかどうかはさておき、心のなかだけであっても、頭を下げて、もしくは両手を合わせて、敬意を示すことのようにも感じます。
あるいは、「わたしのほうが正しい」、「わたしの考えは間違っていない」という頑固な思いを、潔く手放すことだとも言えるとおもいます。
相手を身体だと思って見ているとしたら、明らかに、「わたしは間違っている」のです。
「わたしのほうが、間違っている」のです。
クライアントさんとのセッションのなかで、わたしたちに与えられたそのメッセージを、わたしはとても大切にしています。
ほんとうの「ゆるし」をおこなう姿勢を育んでいくうえで、とても大事な教えだったからです。
誰にも罪はないという真実を、ほんとうに思いだしたいです。
「わたしの清らかさ」は、すべてのひとのなかにある、その喜びを、経験し続けていきたいです。
「わたしの清らかさ」は、すべてのひとのなかにある、その喜びを、経験し続けていきたいです。
Blessings,
愛
愛
2018.6.29
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック3 聖なる関係①/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック3 聖なる関係①/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)