『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson26:わたしの攻撃心は、傷つくことができないはずの自分を攻撃しています。
今日のワークでは、存外自分に対して攻撃しているんだなと感じました。
なにも、自分にひどい言葉を浴びせているわけではなくて、何かを心配すること、不安になること、怖れを抱くこと、それが自分自身に対する攻撃になるということを、日常のなかできれいに忘れて(というより忘れたフリをして)いるんだと、しみじみおもいました。
こういう状況なら、こういうふうに捉える、こんな気持ちになるのが人間というもの。そういうふうにしっかり思い込んでいる部分が、ほとんどの人にあるものだとおもいますが、それは正しいことではなく、間違っていることで、自分を攻撃することなのだということを忘れたくないです。
レッスン23で気づいたことですが、一般的に言われている攻撃的な考え(乱暴な、批判的な、ひどい思い)のことに限らず、普段あれこれ思いあぐねるような、何かを気にしたり、計算したりするような、そんなちょっとしたこと、激しい感情を伴うものではない思いでも、
神聖性を見ていないのだから、ホーリースピリットとともに見ていないのだから、それらは全部「攻撃的な思考」なのだということが、今日のレッスンでさらに深く落とし込まれました。
そして、何かや誰かの神聖性を見ていないということは、自分自身の神聖性を見失っているということでもあり、気を揉んだり、落ち込んだり、心配したりすることは、わたしは誰であったかということを忘れているということです。
アイデンティティの問題。
「わたし=この身体」なら、「わたし=不完全」ということであり、「わたし=弱き者」ですから、当然防御が必要となり、そのためにいちいち攻撃的な思いを持たずにはいられなくなる、というのは避けられないことですが、
「わたし=この身体」なら、「わたし=不完全」ということであり、「わたし=弱き者」ですから、当然防御が必要となり、そのためにいちいち攻撃的な思いを持たずにはいられなくなる、というのは避けられないことですが、
「わたし=永遠のスピリット」、「わたし=神の子」なら、「わたし=完璧」であり、「わたし=愛そのもの」ですから、防御はまったく必要ではありません。傷つくはずがありません。
そうは言ってもね~、なんていう、自我(エゴ)の声が聞こえてきそうですが。笑
そうは言っても、ではないのです。
そうは言っても、ではないのです。
ほんとうの自己を思いだす鍵は、すべてのひとのなか、すべてのひとの神聖性を見ること。
あれこれ思うことをストップして、すべてを明け渡し、何もかもを、ホーリースピリットのまなざして見て、祝福していたいです。
あれこれ思うことをストップして、すべてを明け渡し、何もかもを、ホーリースピリットのまなざして見て、祝福していたいです。
Blessings,
愛
愛
2018.5.26
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック2 知覚のとびらをあけて/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック2 知覚のとびらをあけて/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
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