『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson25:わたしは、それが何のためにあるのか、わかっていません。
 
 
このワークをやっていくと、そのモノの役割や機能、有用性というものは消えていって、どれも「同じ」になっていくのを感じました。
 
もし、「わたし=欠けている存在」、つまり「わたし=この身体」という認識であれば、つねに、その「欠落感」を埋めるために(防御するために)、安全を求めなければならなくなります。
 
そうすると、見えるものが、「敵」か「味方」か、「有害」か「無害」か、「損」か「得」か、「-」か「+」か、「悪」か「善」か、どちらであるのかを判断しなければならず(実際一瞬のうちにジャッジして)、「敵」、「有害」、「損」、「マイナス」、「悪」であるものから身を守り、安全であろうとします。
 
健康を気にするのも、身だしなみに気をつけるのも、いい人間であろうとするのも、みんなこのためなのだろうとおもいます。
 
「○○は身体に悪いからとらないほうがいい」だの、「だらしのない恰好をするのは失礼にあたる」だのと気にするのは、実はただ単に防御している(怖れに満ちている)だけで、「わたし=この身体」だと思い込んでいて、「分離」を選んでいるだけなのです。
 
では前提の、「わたし=   」この部分が、「愛そのもの」だとしたら?「永遠のスピリット」だとしたら??
 
見えるものは、報復が形となったものではなくなって、差異がなくなって――だから善悪、優劣というものはなくて――、ただそこここに祝福がもたらされている、ほんとうの愛があまねくゆきわたっていることが感じられる――。
 
自分の解釈などというものは、要らないのだと、深く感じます。
表面的な意味、自我の意味を視るのではなく、すべての必然性と、すべては最善であるということを、しっかりとハートで感じたいです。
 
 
 
Blessings,
 
2018.5.25
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック2 知覚のとびらをあけて/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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