奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson20:わたしは、見ることを決心しています。
 
今日のワークは30分ごとにおこなうというものでしたが、それよりも高い頻度でやってみました。「やろうとした」のではなく、これは初めてのことでしたが、30分おきにするというのは、間隔が空きすぎているような気がしましたし、自然と頻繁にやっていたのでした。
 
このレッスン20のワークに初めて取り組んでみたときに感じたことを、今でも憶えているのですが、「見ることを決心するって、何を見るってことなの??」と思い、戸惑ったものです。
 
4巡目にして深く感じることは、このワークブック編の内容は完璧だということです。ほんとうに完璧に組まれているということに、やっと気づくことができました。
 
何がどう完璧なの?と聞かれても、言葉で説明するのが難しいのですが、レッスンのアイデアの順番、説明のされ方、取り組みの内容と運び方が、もう、、すごくって、数日前、「なんてこった!」と驚いてしまいました。
 
このレッスン20を迎える前から、わたしの心には、「何をおいても、わたしは見たい」という思いが満ちていました。
昨日ガードレールにしっかりこびりついている、真っ黒の汚れを目にしたときには、「汚い」というふうにはもう映っていなくって、
 
真っ白の部分と同じだし、走っている車とも同じで、もう勝手な意味を与えようがなく、わたしの心のうちにひろがる平安から見るものはすべて、しずかで、やさしくて、あたたかいのでした。
 
それで今日は、もう、、30分おきなんかじゃなくて、ずーーーーっとこのまなざしで見ていたいという思いしかなく、何かしているときでも「わたしは、見ることを決心しています」という思いとともにある、そのような一日でした。
 
そのおかげで、「ああ、奇跡を見せていただいた」と感じることもありました。ものの見方が訂正されると、やはり、知覚が変わるのです。
 
Aを見る、Bを見る、というふうに見る(違いを見る、区別する、つまりはジャッジする)のではなくて、「同じ」ものを見る。何を見ても、「同じ」。
 
お皿という対象を見る。友人という対象を見る。そんなふうにこれまでは見てきたけれども、そのような感覚にはならなくて、お皿にも、友人にも、空き缶にも、観葉植物にも、紙屑にも、「同じ」ものしか見えない。
 
わたしの指一本と、ボールペン一本は??
レッスン1で感じたときのことを思いだして、試しにまたそれぞれを見てみました。
 
たしかに、「同じ」ものが見えます。
 
でもまだ、人差し指への見方を、これまでのような視線で見てみると、すぐに自我の意識になってしまうことも感じられました。なんと言えばいいのでしょう、スイッチをカチッと切り替えると、「この身体=わたし」に戻って(?)しまいます。
 
このボールペン一本は失っても平気だけれども、この指一本を失うとしたら・・・平気ではいられません。
 
身体に対しては、それにしても、しぶといです。笑
 
慌てずに、丁寧に、「ほんとうに見る」ことへのプロセスを進んでいきたいとおもいます。
 
 
 
Blessings,
 
2018.5.20
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック1 わたしは何も知らない/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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