#023

ACIMはじめてさん向けコーナー

 

前回からの続きで、コース学習において
非常に重要なことについて書いていきますね。

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前回は目的について書きましたが、
今回は、重要ポイントの2つめ
カリキュラムに関して整理してみます。

まず・・
A Course in Miraclesというのは
どういう構成なのかと言うと、

Text
教科書

Workbook For Students
受講生のためのワークブック

Manual For Teachers
教師のためのマニュアル

この3部構成になっています。

 

日本語版に関してはこちらの記事
まとめており、

この3部構成に関する詳細は
こちらの記事で触れておりますので、

これから学ぶという方は
よろしければご参考に◎

 

このテキストの「構成」のところに
このように述べられている箇所があります。

ちなみにこの「構成」の文章は、
ヘレン・シャックマンさんが書いたものです。

『奇跡講座』が提供するカリキュラムは念入りに構築されており、理論と実践の両面において段階を追って説明される。理論よりも実践、神学よりも体験が重視されている。『奇跡講座』は、「普遍的な神学は不可能だが、普遍的な体験ならば、可能であるばかりか、必要である」(「教師のためのマニュアル」:「用語の解説」序文・2)と、はっきりと述べている。キリスト教の言葉が使われてはいるが、扱っているのは普遍的な霊性に関するテーマである。こうした普遍的なカリキュラムはほかにもいくつもあり、このコースはその一つにすぎず、異なるのは形だけであることが強調されている。そうしたカリキュラムはすべて、最終的には神に行き着く

(『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社/emphasis mine)

 

ACIMだけがすべてというわけではなく、
霊性のカリキュラムとして
たくさんあるうちの一つだということを
まず押さえておきたいですね。

コースが他の霊性の学びより
優れている、ということはありません。

ユニーク・・ということは言えますし、

いろんなスピリチュアルな学びを
経てきた人が最終的にたどり着いたものが
ACIMだったというケースは多いようですが。

コースは、けれども、
絶対的なものではありません。

それで・・
The Course in Miraclesではなく
A Course in Miraclesとなっているのです。

 

 

さて、この「カリキュラム」について
さらに深く見てみましょう。

テキストで、声の主Jesus(イエス)は
次のように述べています。

あなたがどちらの教師を選ぶかにかかわりなく、カリキュラムのゴールは、「汝自身を知れ」である。それ以外に求めるべきものは何もない。誰もが自分自身を探しており、自分が失ったと思いこんでいる力と栄光を探している。

(T-8.III.5:1-3/『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社/emphasis mine)

 

わたしたちが選べる教師は、
自我(ego)
聖霊(Holy Spirit)です。

どちらでもないということは
あり得ませんし、

両方とも同時に選んでいる
ということもあり得ません。

毎時、毎分、刻一刻・・
どちらかを選んでいます

 

自我もホーリースピリットも、
同じカリキュラムのゴールを掲げています。

「汝自身を知れ」が、それです。

 

このコース(ACIM)、霊性の道は
どこに向かっているのでしょうか。

・・そうです、
ヘレンさんが記しておられる通り、
「最終的には神に行き着く」のでした。

最終的には、です。

 

このコースがフォーカスしているのは、

真の自己を思い出すために
偽りの思考の数々を光に当てて
取り消してもらうこと、

つまり「ゆるす」ことです。

 

自我の「汝自身を知れ」に従うなら、
個人としての自分
肉体としての自分にとらわれます。

前回の記事で述べたように、
なりたい自分になる!」は
自我(ego)の考えなのです。

 

自我とは、ありのままの自分としてではなく、自分が望む通りの存在(もの)として自分自身を知覚しようという、間違った心による試みであるだが、あなたは、ありのままのあなたとしてしかあなた自身を知ることができない。なぜなら、それだけがあなたに確信できることだからである。それ以外のあらゆることには、明らかに疑問の余地がある。

(T-3.IV.2:3-5/『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社/emphasis mine)

 

神(=永遠なる愛、いのち)から
分離して独立した個別の存在なんだ!
というのが自我の考えであり、

ありのままの自分というのは
聖なる神の子(スピリット)
本当のわたしたちのことです。

これをコースでは「キリスト」と
呼んでいます。

わたしたちはみな、キリストです。
神聖なスピリット、光そのものなのです。

ホーリースピリットの「汝自身を知れ」を
真に受け入れるなら、
この真実を思い出すことになります。

 

自我を教師にすることで
最終的に行き着くのは死であり、

聖霊を教師にすることで
最終的に思い出すのはいのちです。

両者の教えが重なり合うことは
決してありません。

 

自我と同一視、
肉体と
同一視してきたわたしたちは、
道を間違っていたのです。

引き返す必要があります
本当に・・幸せでありたいのならば。
真に・・平安でありたいのならば。

踵を返しましょう! 今こそ。

前進していると思っていた道は、
死に向かう道だったのです。

その方向に、救いはありません。

自我の言う、「汝自身を知れ」には
救いがないのです。

 

わたしたちは、踵を返します。
もう、後ろは振り返りません。

わたしたちは、いのちのほうを向いて
みんなで心の手を取り合い、
優しさに包まれて歩みます。

学んでいるものの形がなんであれ、
わたしたちは共に歩んでいるのです。

自分が選んだ学びに、
なぜか(!)出合ったこのコースに
心を開いていましょう。

 

イエスは、かつてヘレンさんに
こう言ったことがあります。

「他の人の道を自分の道にしようとするのはやめなさい。しかしまた、他の人の道を裁くこともやめなさい」。

(『天国から離れて』/中央アート出版社)

 

出合ったこのカリキュラム、
自分が選んだこの学びに
最初の頃は(数年が過ぎてもなお)、
色々と思うときがあることでしょう。

難しい!と文句を言いたくなったり、
怪しい!と疑わずにはいられなくなったり。
ものすご〜〜く抵抗したり。

「汝自身を知れ」の真の意味に怯えて。

こんな自分は愛なんかじゃないと、
否定せずにはいられなくて。

 

面倒だから。忙しくなったから。
訳わかんないから。

アタマで考える理由は、どれも嘘です。笑

本当は、ただただ、怯えているのです。

愛という神が信じられなくて。
救われることが怖くて。
自分をゆるせなくて。

・・だから、だからこそ、「学ぶ」のです。
自分をゆるすというレッスンを。
愛を真に受け入れるために。
ほんとうの自分を、思い出すために。

ほんとうの幸せを、思い出したいから。
を、奇跡を、経験したいから。

 

そして、それは間違いなく叶います。
Jesusは、聖霊は、嘘をつきません。

愛に心を開いてみましょう
学びを続けてみましょう

疑念が湧いたら、不安になったら、
仲間がほしいと思ったら、
どうぞご遠慮なくご連絡ください♡

わたしも、学びのお仲間も、
喜んで祝福し、お迎えします・.*

Blessings,

2021/12/4配信

 

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