先月の半ばあたりから今月の初めにかけて、21日間のACIMオンライン・キャンプを25名の方々とご一緒しました。
どんなふうになるのか、わたしは想像したり予測したりしていませんでしたが、「想像し得なかったほどの結果」を受け取ることになりました。
自分が着地したいところに着地する。これは当然のことであり(コースの本文からわかることですよね)、この<着地したいところ>を、形態のレベルで決めずに、常に、心のレベルのものとして決めることが大切です(テキストの決断のためのルールを読んでもそれは明白です)。
イエスがわたしたちに見せたいものを見たい。イエスがわたしたちに与えてくれる贈り物をみんなで受け取りたい。
わたしにとっての、この21日間のオンラインキャンプにおける<着地したいところ>はこれでした。そして、確かにそうなりました。
初めから用意/意図していなかったことですが、キャンプ14日目から促されたのは、マリア・フェリーぺさんの著書『願いはすべてホーリースピリットが叶えてくれる』(これについては先月ここで触れました)に記載されている、「恐れをなくすための7ステップ 7日間の練習」に取り組む、ということでした。
やってみた人とそうでない人がいましたが(ヴェリテでは、すべてのことにおいて「任意」です、みなさんそれぞれの心のペースを尊重しています)、実際に取り組んでみた方の変容がとてつもないもので、イエスが『祈りの歌』で警鐘を鳴らしている、「破壊するための赦し」をやってしまうのではなく、イエスが教える通りの<真の赦し>を体験するための、素晴らしいツールとなって、取り組まれた方々の心が、ホーリースピリット(聖霊)の光に照らされ、鮮やかな浄化と解放の体験へと運ばれていくのを目撃させていただきました。
まさかここまで受け取れるなんて、思ってもみなかった。そのように伝えてくださった方々がいらっしゃいました。本当に、素晴らしいシフトだったのです。
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<真の赦し>に対しては、とてつもない抵抗が起こることがあると思います。
それがニセ赦しなら、サクサク「できた」と思えるでしょうけれど(自分は日々赦しを実践していると信じてしまうでしょうけれど)、<真の赦し>を本当に望んでいるなら——わかった気になってコースの理論を持ち出し、自我の考えをただ分析するだけで終わったり、他者の言動自体をゆるそうとしたり、単に抑圧して我慢してやり過ごす、というようなことはしないと固く心に決めているなら——、自分の心の決断についての責任(イエスが唯一の責任だと言っていること)に関して、直面しなければならないのだから、最初の段階においては、とても勇気が要るかもしれません。
この抵抗の正体について、丁寧に考えてみたことがありますか?
ワークブックの取り組みに対して、イエスがレッスン95でこのように述べているところがあります。
私たちはしばらくの間、毎時五分間の練習を続け、できるだけそれを怠らないようにしなければならない。2一時間ごとにはじめの五分間を使うことは堅固な枠組みとなるので、特に役立つだろう。3しかしこのスケジュールを守れなかったときでも、それを口実にして、なるたけ早く練習に戻ることをやめてしまってはいけない。4おそらく、もはや要求されたことに応えられなかったという理由で、その日の練習は失敗したと見なしたい誘惑にかられるだろう。5だがこれも、ただその正体を認識することが必要なだけである。すなわち、それは自分の誤りが正されることに対する拒否反応であり、再び練習に取り組みたくはないという気持ちである。
8.あなたの間違いによって、聖霊の指導に遅延が生じることはない。2聖霊を妨げるのは、誤りを放棄したくないというあなたの気持ちだけである。
W-pI.95.7:1-8:1/『奇跡講座 下巻』
中央アート出版社 emphasis mine
これはレッスンの取り組み自体について言及している箇所ですが、「レッスンの取り組み=赦しの練習」なのですから同じことです。
なぜ、<真の赦し>に抵抗するのか。自分の誤りが正されることに対して、拒否反応を起こしているから。しかも、誤りだとは思っておらず、むしろ「自分は正しい」と思っているのだから、相当抵抗するわけです。「わたしは正しい!」という思いが強ければ強いほど、激しく抵抗することでしょう。
喜んで正してもらう勇気さえあれば(誤りを放棄したくない!自分は正しい!と、意固地になるのをやめてしまえば)、あっという間に解放されます。聖霊の邪魔をしなければ、<あっという間>なのです(“奇跡に難しさの序列はない”のですから)。
正してもらう勇気。変えてもらう勇気を持ちたいですよね。それは誰かが代わりにやってくれることではないのだから。いつまで「意地っ張り(赦そうとしない状態)」を続けて苦しむのかは、自分の心だけが決めているのであって、他の何からも、誰からも支配されてはいないのだから。
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God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,
Courage to change the things which should be changed,
and the Wisdom to distinguish the one from the other.神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
引用元:wiki「ニーバーの祈り」
変えようと躍起になる必要のないこと。
他者、物事、この世界。すでに<結果>にすぎないものたち。
変えるべきもの。
自分の心の決断。
2世界を嘆いても無駄である。3世界を変えようとしても無駄である。4それは結果にすぎないのだから、変わりようがない。5しかし世界についてのあなたの考えを変えることならば、確かに意義がある。6そうすれば、原因を変えることになるからである。7その結果は自ずと変わっていく。
W-pI.23.2:2-7 emphasis mine
6人はその心に思うごとく知覚する。7だから、世界を変えようとするのはやめなさい。そうではなく、世界についてのあなたの心を変えることを選びなさい。8知覚は結果であって、原因ではない。9だからこそ、奇跡における難しさの序列というものは無意味なのである。
T-21.in.1:6-9 emphasis mine
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wikiに記載されているニーバーの祈りを
コースの学びに即して多少言葉を入れ替えて書いてみました。
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神よ、すでに結果であるこの世界のすべてを
闘うことなく静けき中心にとどまったまま、
キリストのヴィジョンによって
真に受け入れる強さを思い出させてください。
すべての原因である心を
聖霊に変えてもらう勇気を、
そして、結果と原因を区別する賢さを与えてください。
一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難に見えるものは
平安への道のための、奇跡の道具になると
信頼していられますように。
これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
すでに真に贖われたこの世界を
聖霊が見る通りに受け入れさせてください。
あなたのご意志にこの身のすべてを委ねれば、
天に行われるごとく地にも行われることを見て、
幸せな結果は確実であるとわかるでしょう。
全き幸福が、永遠(とわ)に続くと知るでしょう。
アーメン
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2月もみなさんと一緒に、真の聡明さを受け入れて、引き続きたくさんの奇跡を体験していきたいです♡
Blessings,
愛
2025.2.9配信
(繋がってくださっている方に毎月お送りしています)
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今後のイベント
春に次のACIMオンライン・キャンプを
予定しております、お待ちください♪
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お気軽に繋がってください♡
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