いつもありがとうございます。

この5月は、とても濃密で、
自分自身としっかり向き合う月となったなと
しみじみ思います。

ウェブサイトを作り直すことによって、
これから自分が進んでゆく方向が
より鮮明になってきましたし、

ここ最近はと言うと、

有名なあの「こんまり」さんの著書
『人生がときめく片づけの魔法』
(近藤麻理恵、サンマーク出版)

なぜか読む流れになり、

読んでいたら
居ても立っても居られなくなって、笑

気がつくと
黙々と衣類から片づけていました。

 

 

片づけは好きなほうで、
年に何度か「見直し」をはかり、

本は100冊ほど毎回捨て、
衣類も袖を通さなくなったものとは
お別れするのですが、

読み込んでいない本や着古していない衣類、
人からもらったものは
どうしても捨てられませんでした。

 

 

片づけるときいつも思うのは、
過去を清算しているな、ということです。

モノを手に取っているのですが、
心を――それも、過去にとらわれた自分の心
扱っているような感覚がするのです。

モノを手放すことによって、
そのひとつひとつにまつわる自分の過去と
お別れしてゆく。

片づけというのは、
そういう、どこかイニシエーション的なところが
あるなと思っていました。

だから、片づけが好きなのかもしれません。

 

 

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ご存知の方が多いかと思うのですが、

こんまりさん流では、
「ときめく」ものだけを残すやり方
すべてのものを片づけていきます。

「ときめく」かどうかと問うたなら、

ときめかないものが、
たとえ新品に近いものであっても出てきます。

残念ながら、
いただきものに対しても
ときめかないものがあります。

 

何と向き合わされるかと言えば、

むろん「過去」ですけれども、
もっと言うなら、「罪悪感」です。

 

今回の「片づけ」においては、
この「罪悪感」と向き合いました。

ときめくものしかない部屋で過ごしていい
だなんて、

何の我慢もうしろめたさも感じない空間で
生きていていいだなんて、

本当にいいのだろうかと

こんまりさんの本を
既に読んだ方の話を聞いたときには
ためらいましたが、

いいんですよね。

ときめきに満たされて。
安心して生きていって。

 

単なる片づけじゃないなと思いました。

ひとつひとつに感謝を述べ、
罪悪感も一緒に手放し、

そのモノの「お役目」が終わっても
また戻って来るという
こんまりさんの考えを信頼し、

随分と自分の心を片づけることが
できたように思います。

 

最後に片づけるのが
思い出の品なのですが、

やってはいけないとあるけれども
やってしまったことがありました。

過去の日記を読んでしまったのです。笑

でも、読んでよかったとつくづく思っています。

 

過去というのは、すでに起こったこと、
通り過ぎ去ってしまったことで、
もう「動かない」ことですけれども、

記憶というのはやっかいで、

捻じ曲げてしまうものなのだなと
しみじみ思ったからです。

 

もう随分と昔のことですが、

わたしが完全に誤解していたことがあり、
なぜ記憶を捻じ曲げて、

「愛されていなかった」
「必要とされていなかった」

というストーリーを作り上げてしまったのか、

そんなことをして
ずっと痛みを抱えてきた自分に
あきれる思いもあったものの、

しずかな安堵感を覚えました。

当時のわたしには、
そこに愛がまぎれもなく在ったことなど、
全く気づけずにいたのです。

いろんな感情がやってきました。
たくさん泣きました。

 

「これは愛じゃない」
「ここに愛はない」

と、
わたしのエゴ(自我)が決めてきた
虚構そのものが、

愛に変わった瞬間でした。

 

罪悪感も絶望感もみな消えてゆき、

本当にそこに在ったものが何だったのか、

その答え、
その真実そのものへと訂正されていった、

そのような体験だったと感じています。

 

 

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この約一ヶ月間のわたしのテーマは、
「再生」。

たくさんのシンクロニシティが、
わたしをそこへといざなってくれていました。

これからもガイダンスに従って
本当に大切なほうを選び続けたいと思います。

応援してくださっているみなさま、
いつも本当にありがとうございます。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

愛と感謝をこめて

末吉 愛