ある昼下がりのことです。
その日の難波へ向かう電車内は空いていました。

このときわたしが何をしていたかはもう憶えていませんが、
電車に揺られていると、突然、大きな奇声が車両内に響き渡りました。

こういうときはたいてい同じような空気が漂うように思いますが、
そのときもそうで、一瞬「ま」があって、そのあとその場にいる人たちが状況を理解(?)し、
緊張感が走るような、様子を窺うような時間がほんの少しのあいだ流れたあと、
すぐまた元に戻るといったふうでした。

1人の男性が、声を上げながら体を前後に揺らしています。

大きな声は何度も繰り返されていて、
その声の様子から、わたしはその男性が、
電車に乗っていることを怖がっているように感じられました。
けれども彼に付き添っている男性は、何もせず隣に座っています。

 

これは確か2年程前のことで、この日のワークブックのレッスン
何番だったかは記憶にないのですが、

わたしはこのとき、「わたしの知覚は間違っている」ということを思いだしました。

それで、彼の心とつながってみようと思い、
目を閉じて、しずけさのなかで彼の心(スピリット)に挨拶をしてみました。

 

そうすると、すぐに、
彼は電車に乗って揺られていることが怖いのではなくて、
喜びを感じているのだという、その感覚を受け取ることができました。

 

怖がっていたのは、わたしだったのです。

 

わたしはしばらく、彼の美しい輝きを感じていました。
透き通った、清らかさを。やさしい、光を。

しっかりと受け取らせていただいたあと、わたしは目を開き、
あたたかい感謝の気持ちで座っていました。

彼は、喜びを存分に表現しつづけています。

 

 

どこの駅だったでしょうか、忘れてしまいましたが、
電車がある駅に着いたとき、
ギターケースを背負った長身の若い男性がすっと歩いて
その彼の前に立ちました。

そして彼の手を取って握手し、車両中に響く大きな声でこう言ったのです。

「ありがとう!君は本当に素晴らしい!
 これからもそのままでいいよ!もっと表現してもいいんだよ!
 本当にありがとう!」

そして彼は電車から降り、立ち去っていきました。

 

わたしは泣きそうになるくらい、胸がいっぱいになりました。

奇声を上げていた男性の、本当の美しさを目撃していた人が
他にもいたということのうれしさ(ありがたさ)と、

わたしにはできなかったことを――ありがとう!と心からの感謝の思いを直接告げるということを
見せてくださった若い男性の清らかさに感動する思いで満ちていました。

 

周りの景色は愛で滲んで、何もかもが溶け合い、もう何も見えませんでした。
ほんとうにそこに在るもの以外は何も――。

 

怖がっていたのは、わたしだったのです。

小学生の頃、なかよし学級にいた男の子に追いかけまわされていたことや、
同じく小学生のとき、たった一人で祖母の家に電車で行くことにした日に、
車両内にいた、おそらくは精神障がいのある男性に、
駅に降りてから追いかけられたことがあった、
そのときの怖さが再現されてしまっていたのでしょう。

その「誤解」が、この日の男性と、彼にお礼を告げた若い男性の美しさのおかげで、
訂正されていきました。
ホーリースピリットが導いてくれたことは言うまでもありません。

感謝以外に、何を持てるでしょうか。

 

ひとびとの輝きに、ありがとうを。

しっかりと、心からのおもいを伝えられるよう、意識していきたいと思います。

 

今日も、
わかつことのできない いのちの輝きを
すべてのひとと共にたたえ合いましょう。

感謝をこめて
Blessings,

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ワークブックのレッスン…奇跡のコースのワークブックに記載されているレッスン

 

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