今日(1/23)は、ACIM学習シェアクラス(『奇跡のコース』/『奇跡講座』の学びについてわかち合うクラス)の日でした。Skypeでおこなっているので、関西圏の方だけでなく、東京や岡山にお住まいの方もご参加くださいました。

 

テキストクラスよりも気軽な感じで、より日常のことを見ていく時間なのですが、終わったあとの、心のほっこり感がわたしは好きです。みなさんのことが好きだなあって感じます(最後に言いたかったけど、言いそびれてしまいました 笑)。

 

ワークブックのレッスンをスタートされて間もない方、数年学ばれている方、始めた時期はそれぞれでも、日々感じていることは共通していたり、「そうそう、それが大事だったよね」って一緒に思いだすことができたりするので、よき機会になっているのではないかなとおもいます。

わたし自身が、みなさんに助けられていますし、ほんとうに……支えになっています^^

 

レッスンをやってみてはいる、ゆるし(訂正)のために祈ることもある、けれども進んでいる気がしない。そんなふうに感じることがあるかもしれませんよね。きっと、「奇跡のコースあるある」だとおもいます。

 

 

わたしの場合、みなさんのお話を聞いているときに、コース関連の本やコースのテキストの一部がふっと思いだされることがよくあるのですが、今回もそうで、3か所くらいご紹介させていただきました。

そのうちの1つは、ゲイリー・R・レナードの『不死というあなたの現実』(吉田利子訳/河出書房新社)という本からの引用で、

ヒンズー教には、エゴの解体とはタマネギを剝くようなものだ、というたとえ話がある。そのたとえを借りれば、きみが誰かを「コース」にあるとおりの意味で赦すなら、タマネギを一枚剝いたことになる。というか、エゴの層を一枚剝いたわけだ。きみには何も変わらないように見えるかもしれない。どうしてか? タマネギを一枚剝いても、やっぱりタマネギだ。同じように見えるだろう。だがほんとうは同じじゃない。一枚剝かれて皮が減っているんだから。

という箇所でした(この本は会話形式で書かれています)。

 

日々、「ゆるし」。日々、ものの見方の訂正について祈る。心に平和が戻ってきたり、すこしは受け止め方が変わったような気がするときもある。
それでもまだまだ、訂正すべきことがあふれてくる。ゆるしをおこなったかに見えて、ちっともゆるせていなかったことに気づく。まだ怖がっている自分がいる。まだ分離したがっている思いに気づく。

 

でもそんな自分を、否定したり責めたりする必要はないんですよね。ひとつひとつを訂正してゆく。一枚一枚……タマネギの皮を剝いてゆく――。それが実はどれほど大切なことか。

 

ほんの薄い皮一枚であったとしても、それをたいして意味のないこととして、進歩できていないこととして見るのではなくて、ほんとうの「ゆるし」を続けてゆくそのあり方を大事にしていきたいですね^^

 

ご一緒してくださいましたみなさま、ほんとうにありがとうございました。
またよろしければお気軽にご参加ください。

これからの方も、どなたさまでもいつでも、心をひらいてお待ちしております♡

 

心をともにして、たったひとつの心をたいせつにして、歩んでゆくことができるよろこびと安らかさを一緒にあじわいましょう。

 

Blessings,