奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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今日復習するレッスンはこの2つです。
▶Lesson109
わたしは、神の内で安らぎます。
▶Lesson110
わたしは、神が創造されたままのわたしです。
今日で「復習3」最終日です。
新しいレッスンというものはない、というのがワークブック4周目にしていま感じていることです。
初めてワークブックに取り組んでいたときは、その日のレッスンを学び終え、夜、「明日はどんなレッスンなんだろう」と、楽しみにして眠りについていました。ですから復習期間に入ると、「え~、復習するんだ・・でも大事なんだよね・・」と思ったものです。
けれども、「新しい」レッスンは、これまでも、ここから先にも、ないのです。
ただひとつのことを、たとえて言うなら、あらゆる角度から学んでいる・・という感じ。
テキストもそうですが、おそらくワークブックも、螺旋状のようにぐるぐると、けれども質は深まりながら、学べるようになっている気がしています。
ワークブックのエクササイズをやっていて感じるのは、「新しい発見があった!」という感覚ではなく、何に取り組んでも行き着く感覚はつねに、平安、美しい静寂、しずかな喜び、感謝、平和、そういったものだからです。
気づきが深まり、意欲に確かさが増し、コミットが固いものなっていく・・そのような感覚がします。
たとえ誘惑がたくさんあるとは言え。
レッスン109
わたしは、神の内で安らぎます。
あなたのための神の意志が完全な平安と喜びであるというのなら、それのみを経験しているのでない限り、あなたは神の意志を認めることを拒んでいるに違いない。神の意志は永遠に不変であるから、揺れ動くことはない。あなたが心安らかでないとき、その唯一の理由は、自分が神の中に居ると信じてはいないからである。だが、神はすべての者の中に居るすべてのものである。神の平安は完全なものであるから、あなたもその中に含まれているはずである。
(『奇跡講座 テキスト編』第8章/中央アート出版社)(マーカーはわたしの引いた箇所です)
10章にはこうあります。
あなたの心の平安を何かが脅かしているとき、「神は私について心を変えただろうか」と自問しなさい。その後は、神の決定を受け入れなさい。
安らいでいられないのは、周りがわたしの邪魔をするからではないし、神がわたしを見捨てたからでもなく、わたしがわたしを見失っているから。わたしが平安を選ばないから。神の愛を受け入れないから。
安らかでいられないときはいつも、外側のことに目を向けているときだなと思います。
この世界を実在のものとして見ようとしているとき、とも言い換えられます。あるいは兄弟を、つながりのない他人、見知らぬ人として見ているとき、だとも。
内側に、平安に留まっている状態で、そのままで、この世界にいながらにして(夢の中にいながらにして)目の前のことをゆるやかにおこなうこと、ホーリースピリットと一緒に取り組むことは可能です。
これが、四六時中であってほしいと思います。「あってほしい」とは、けれども、どこか他人事のようです。
わたしの選択によるのだから、わたしのコミットが欠かせません。
わたしは、神が創造されたままのわたしです(Lesson110)。
これをこそ真実として、深く深く・・受け入れたいです。
神が創造されたままのわたしなのだとしたら、心乱される・・などということは一切起こらない。
愛以外の何かを選ぶなど、あり得ない。
神聖でないものを見ることなど、あり得ない。
神の意志だけが、わたしの意志です。
それだけを認めます。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック5 神の教師/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)