奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson120:復習3 レッスン1079,110
 

今日復習するレッスンはこの2つです。

Lesson109
わたしは、神の内で安らぎます。

Lesson110
わたしは、神が創造されたままのわたしです。

 

今日で「復習3」最終日です。
新しいレッスンというものはない、というのがワークブック4周目にしていま感じていることです。

初めてワークブックに取り組んでいたときは、その日のレッスンを学び終え、夜、「明日はどんなレッスンなんだろう」と、楽しみにして眠りについていました。ですから復習期間に入ると、「え~、復習するんだ・・でも大事なんだよね・・」と思ったものです。

けれども、「新しい」レッスンは、これまでも、ここから先にも、ないのです。

ただひとつのことを、たとえて言うなら、あらゆる角度から学んでいる・・という感じ。

テキストもそうですが、おそらくワークブックも、螺旋状のようにぐるぐると、けれども質は深まりながら、学べるようになっている気がしています。

ワークブックのエクササイズをやっていて感じるのは、「新しい発見があった!」という感覚ではなく、何に取り組んでも行き着く感覚はつねに、平安、美しい静寂、しずかな喜び、感謝、平和、そういったものだからです。

気づきが深まり、意欲に確かさが増し、コミットが固いものなっていく・・そのような感覚がします。
たとえ誘惑がたくさんあるとは言え。

 

レッスン109
わたしは、神の内で安らぎます。

あなたのための神の意志が完全な平安と喜びであるというのなら、それのみを経験しているのでない限り、あなたは神の意志を認めることを拒んでいるに違いない。神の意志は永遠に不変であるから、揺れ動くことはない。あなたが心安らかでないとき、その唯一の理由は、自分が神の中に居ると信じてはいないからである。だが、神はすべての者の中に居るすべてのものである。神の平安は完全なものであるから、あなたもその中に含まれているはずである。

(『奇跡講座 テキスト編』第8章/中央アート出版社)(マーカーはわたしの引いた箇所です)

10章にはこうあります。

あなたの心の平安を何かが脅かしているとき、「神は私について心を変えただろうか」と自問しなさい。その後は、神の決定を受け入れなさい。

 

安らいでいられないのは、周りがわたしの邪魔をするからではないし、神がわたしを見捨てたからでもなく、わたしがわたしを見失っているから。わたしが平安を選ばないから。神の愛を受け入れないから。

安らかでいられないときはいつも、外側のことに目を向けているときだなと思います。
この世界を実在のものとして見ようとしているとき、とも言い換えられます。あるいは兄弟を、つながりのない他人、見知らぬ人として見ているとき、だとも。

内側に、平安に留まっている状態で、そのままで、この世界にいながらにして(夢の中にいながらにして)目の前のことをゆるやかにおこなうこと、ホーリースピリットと一緒に取り組むことは可能です。

これが、四六時中であってほしいと思います。「あってほしい」とは、けれども、どこか他人事のようです。
わたしの選択によるのだから、わたしのコミットが欠かせません。

わたしは、神が創造されたままのわたしです(Lesson110)。

これをこそ真実として、深く深く・・受け入れたいです。
神が創造されたままのわたしなのだとしたら、心乱される・・などということは一切起こらない。

愛以外の何かを選ぶなど、あり得ない。
神聖でないものを見ることなど、あり得ない。

神の意志だけが、わたしの意志です。
それだけを認めます。

Blessings,
 
2018.8.28
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック5 神の教師/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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