奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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今日復習するレッスンはこの2つです。
▶Lesson101
神がわたしに望んでいるのは、完璧な幸福です。
▶Lesson102
わたしは、わたしの幸福を望む神の意志を分かち合います。
レッスン101の復習パートでは、本文に
神は、完璧な幸せをわたしに望んでいます。だから、わたしが苦しむことがあるのは、ただ、神の意志とかけ離れた意志があると信じているからです。
とあります。
完璧な幸せというのは、むろん、「わたしは将来~~をして、それから~~~なところに住んで、~~~をして・・・」と、自分が勝手に思い描く理想の人生のことを指してはいません。
それに、完璧な幸せというのは、明日やって来るものではなくて、いま受け入れることだとおもいます。
ならばわたしは、それを選んでいるだろうか――。
痛みを選んではいないだろうか。
考えさせられます。
真理は神の意志である。神の意志を共有しなさい。そうすれば、あなたは神が知っていることを共有することになる。神の意志があなたの意志であることを否定するなら、あなたは神の国とあなたの王国の両方を否定している。
聖霊はあなたに苦痛を回避させるためにのみ導く。当然のことながら、これがゴールだと認識したなら、誰もそれに反対するはずはない。問題は、聖霊の言うことが真実であるか否かではなく、あなたが聖霊の言うことを聞きたいか否かである。
あなたは苦痛とは何かを認識していないのと同時に、喜びとは何かを知らず、実は、その二つを混同しがちである。聖霊の主な機能は、それらの見分け方をあなたに教えることである。あなたによって喜ばしいことは自我にとっては苦痛であり、自分が何であるかについて混乱している間は、あなたは喜びと苦痛を混同する。この混同が、犠牲という考え全体の原因である。
聖霊に従いなさい。そうすれば、あなたは自我を手放すことになる。しかし、あなたは何も犠牲にしない。それどころか、あなたは一切を得ることになる。あなたがこれを信じていたなら、葛藤はないはずである。
(『奇跡講座 テキスト編』T-7.Ⅹ.2:5-7,3/中央アート出版社)
(読みやすくするため改行を入れています、マーカーはわたしの引いた箇所です)
この、テキスト7章10節、「苦痛と喜びの混同」というところをそのまま全部引用したいくらいです。
最後の8節ではこう述べられています。
奇跡は神の意志と調和している。神の意志をあなたが知らないのは、あなた自身が何を意志するかについて混乱しているからである。ということは、あなたが自分とは何かについて混乱していることを意味する。あなたが神の意志そのものであるのに神の意志を受け入れないのであれば、あなたは喜びを否定しているということである。
レッスン102は、「わたしは、わたしの幸福を望む神の意志を分かち合います」というものです。
初めてこうしたレッスンに出会ったときは(テキストを読んだときもそうでしたが)、「神の意志」っていったい何なんだろう・・と感じたものでした。
神の意志をわたしが知らないのは、わたし自身が何を意志するかについて混乱しているからであり、つまりそれは、わたしとは何なのかということについて、混乱しているのだということ。
わたしとは神の意志そのもの――。
これについては、102のところでも触れました。
何が本当の喜びなのか、わたしとはいったい何のことなのか、忘れてしまった(ことにしている)わたしが今できることは、ホーリースピリット(聖霊)に助けを求め、従うこと。
幸福とは個人的な喜びではない、ということは確かです。
わたしとはこの身体ではない、ということは確かです。
わたしのほんとうの意志は、個人的な思念のことではない、ということは明らかです。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック5 神の教師/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)