『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson64:わたしの役割を忘れさせないでください。
 
 
今日のレッスンの冒頭にこのようなことが書かれています。
 
1.今日のアイデアは、ただ「誘惑の中に迷い込ませないでください」の別の言い方にすぎません、あなたが見ている世界の目的とは、ゆるすというあなたの役割をわかりにくくさせること、そして、それを忘れることを正当化する理由を提供することです。身体という姿をまとうことによって、神と神の子を放棄するという誘惑です。身体の目が見ているのはこれです。
 
2.身体の目が見ているように思えることは何であれ、誘惑のひとつのかたちにすぎません、というのも、これこそが身体というものの目的だったからです。
 
・・と続きます。
 
 
まず、「誘惑」についてですが、これは以前レッスン58(レッスン36~40の復習)でも引用しましたが、テキストにはこう書かれている箇所があります。
 
誘惑とは、幻想を実在のものにしたいという願望
(T30.Ⅷ.3:1)
 
誘惑とは、自分が学びたいものについて間違った決断を下して自分の望んでいない結果を得たい、という願望
(T31.Ⅰ.11:1)
 
誘惑とは常に、自分自身ではない自己でありたいという願望を反映しているにすぎない
(T31.Ⅶ.12:1)
 
(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版より)
 
 
自分で例外をつくらない(愛は、神は、例外を設けませんでした)ということを日々意識しているのですが、それは、言い換えるなら、誘惑に陥らないよう注意深くあるということです。
 
それでも、スッとそのときはあって、ちょっとしたことでも、何かに対してどうこうしようとすること(行動を起こすこと)が解決になると考えてしまっていることに気づいて、ハッとすることがありました。
 
個人的なゴールというものはない、ということを学んでおきながら、それでもどこかで、個人的なゴールをつくろうとしている、つまり、「ゆるし」の役割ではないものを、勝手な役割をつくろうとしていることに気づきます。
 
完全な「無計画」でいたいし、ただゆるすこと、分離の感覚を癒すことを大切にしたいです。
 
 
ほんとうの「ゆるし」は、起きたことの罪を、大目に見てゆるす、ということではなく、
 
赦しとは、分離しているという知覚を癒すこと(T3.Ⅴ.9:1)
 
 
これを、しっかり胸に刻み、日々を祈りのなかで、ゆるしを求めて、真の癒しと救いを求めて、過ごしたいです。
 
 
目を閉じておこなうワーク、長めのワークのとき、身体感覚がなくなっていく感じがありました。個体という認識が薄れていって、「拡がり続けるわたし」、「ひとつであるわたし」を感じました。非常に心地よかったです。
 
目を開けておこなう短いワークのときは、見えているものの意味というものがなく、ただ静寂があるばかり、祝福があるばかりの、平安を感じました。
 
ホーリースピリットとともに見ると、とてもしずかだと、いつも感じます。
 
 
Blessings,
 
2018.7.3
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック3 聖なる関係①/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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